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2017年8月26日土曜日

人を迷わすような表現の危険


あなたの質問のいくつかについて、私は「はい」とか「いいえ」とか
いう答えはできません。誤解を招くような言葉を述べることはできない
のです。神が私に与えられたメッセージについての、人を迷わすような
言葉を聞いて、時としてその魂を危険に陥れた人々のことを私は示され、
また実際に見ています。私の言葉を歪め、間違った推論をして、自分の
個人的な不信を正当化しようとする人たちがいます。
1-2 エレン・G・ホワイトとその著作
17
はっきりした証拠もないのに疑い、懐疑主義となり、間違った推理を
して霧の中を歩いているような兄弟たちを気の毒に思います。彼らのあ
る人々は、その霊的な視力をくもらせている障害が取り除かれ、正しく
見ることができれば勧告を与えるメッセージによって祝福を受けること
ができるのを私は知っています。しかし、彼らが正しく見ないために、
私は彼らに伝えることができないのです。神のみ霊が、彼らの抱いてい
る神秘主義を追い払えば、昔同様、私が与えるように導かれたそのメッ
セージの中に、全き慰めと信仰と希望を見いだすことができるのですが。
真理は確実に勝利します。人間をサタンの惑わしからあがない出すた
めに命を与えてくださった方は、眠ることなく見張っていてくださいま
す。そのお方の羊たちは、見知らぬ他の人たちの声に従うのをやめる時、
自分たちが喜んで従いたいと思った方の声を聞いて、本当にうれしく思
うのです。

2017年8月24日木曜日

十戒は

十戒は、神ご自身によって語られ、神ご自身の手によって書かれた。
それは神がおつくりになったものであって、人間のつくったものではな
い。しかし、神から与えられた真理が人間の言葉に表現されている聖書
には、神的なものと人間的なものとの結合がみられる。このような結合
は、神の子であると同時に人の子であったキリストの性質の中にもあっ
た。このように、『言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った』という
ことは、キリストご自身についてと同様に、聖書についても言えるので
ある(ヨハネ 1:14)。
聖書は、時代が異なり、身分や職業、また知的霊的な才能も広く異な
った人々によって書かれたので、その中の諸書は、そこに示されている
主題の性質が異なっていると同時に、その文体にもいちじるしい対照が
みられる。それぞれ異なった記者によって、それぞれ異なった表現形式
が用いられている。同じ真理を、ある記者は他の記者よりも特にめだっ
て強調していることがよくある。幾人かの記者が、異なった角度と関連
から1つの主題を示しているので、浅薄に、不注意に、あるいは偏見を
もって、これを読む者には、相違や矛盾があるように思われるかも知れ
ないが、思慮深い、敬虔な者が、はっきりした眼でこれを読めば、その
根底には調和があることに気づくのである。
真理は、いろいろな人によってあらわされているので、いろいろな角
度から示されている。ある記者は問題のある一面に特に強い感動を受け
ている。彼は、自分の経験や自分の知覚力、認識力に合う点を把握して
いる。またある者は、これとは異なった一面を把握している。そしてお
のおのは、聖霊の導きのもとに、自分の心に最も力強く訴えるものを示
しているのである。すなわち、それぞれに真理の異なった一面をもって
いるが、しかしそこには、全体を通じて完全な調和がみられるのである。
このようにしてあらわされた真理は、結合して完全な全体を構成し、人
生のあらゆる境遇と経験の中にある人々の要求にこたえるのに適したも
のとなっているのである。
神は、ご自分の真理を、人間を通して世にお伝えになった。そしてご
自分の聖霊によって、人々に、この働きをなす資格と能力をお与えにな
った。神は人を導いて、語るべきことと書くべきこととを選ばせられた。
1-2 エレン・G・ホワイトとその著作
13

2017年8月22日火曜日

神は不完全な人間の言葉を用いて語られる

神は不完全な人間の言葉を用いて語られる
神は地上に住む人間の堕落した感覚、鈍い理解力でも神の言葉がわか
るように、不完全な(人間の)言葉で語られます。神はこのように身をか
がめてくださるのです。堕落した人間がいる所で、会ってくださるので
す。聖書は、単純さにおいては完全ですが、神の偉大な考えをあらわす
には不十分です。なぜなら、神の無限の考えは、思想の伝達手段である
人間の有限な言葉では完全にあらわすことができないからです。聖書の
表現は誇張されていると考える人がたくさんいますが、聖書記者が天よ
りの真理を伝えるためにもっとも強力な表現を選んでも、その思想があ
まりに壮大なので役に立たなくなってしまうのです。罪を持った者は、
天の栄光の輝きの影しか見ることができません

2017年8月20日日曜日

聖書は霊感を受けた人々によって書かれましたが

聖書は霊感を受けた人々によって書かれましたが、神の思考や表現の
形式で書かれたのではありません。それは人間の言葉で書かれており、
神は著者として(直接的にはー訳者)あらわされていません。人々は
よく、こんな表現は神らしくないと言います。しかし神は、聖書が神の
言葉であることを示すために、ご自身をその言葉や論理や表現に入れて
はおられません。聖書の記者たちは、神の代わりに書いたのですが、神
のペンではなかったのです。このことは、いろいろな聖書記者を見れば
わかります。
霊感を受けたのは聖書の言葉ではなく、人でした。霊感は言葉や表現
に働いたのではなく、その人自身に働いたのです。彼らは聖霊の影響を
受けて、思想を与えられました。しかし聖書の言葉は、個々の聖書記者
の影響を受けています。神のみ心はその言葉の中にゆきわたっています。
神のみ心と意志が人間の心と意志に結びついて、人間の言葉が神の言葉
となったのです。

2017年8月19日土曜日

神は不完全な人間の言葉を用いて語られる

神は不完全な人間の言葉を用いて語られる
神は地上に住む人間の堕落した感覚、鈍い理解力でも神の言葉がわか
るように、不完全な(人間の)言葉で語られます。神はこのように身をか
がめてくださるのです。堕落した人間がいる所で、会ってくださるので
す。聖書は、単純さにおいては完全ですが、神の偉大な考えをあらわす
には不十分です。なぜなら、神の無限の考えは、思想の伝達手段である
人間の有限な言葉では完全にあらわすことができないからです。聖書の
表現は誇張されていると考える人がたくさんいますが、聖書記者が天よ
りの真理を伝えるためにもっとも強力な表現を選んでも、その思想があ
まりに壮大なので役に立たなくなってしまうのです。罪を持った者は、
天の栄光の輝きの影しか見ることができません。手紙121、1901

2017年8月18日金曜日

安息日遵守の始まり

安息日遵守の始まり
初期の再臨信徒間における安息日遵守の起原の物語をさかのぼると、
ニューハンプシャー州の中心部にあるワシントンという町の小さな教会
へたどりつく。この州は、東メイン州に隣接し、西は、ニューヨーク州
の境界線から60マイル以内のところにあった。ここで独立キリスト教
会の信者たちが、1843年に再臨使命の宣教を受けいれた。
経験と幻
18
彼らは、熱心な人々であった。そこへ、第4条は守るべきものであるこ
とを書いたトラクトを配布していた、セブンスデー・バプテストのレー
チェル・オークスが訪れた。1844年に、幾人かの者が、この聖書の
真理を受け入れた。その中の1人のウィリアム・ファンズウォースは、
ある日曜日の朝の礼拝の時に立ち上がって、自分は、第4条の神の安息
日を守るつもりであると言った。ほかに12人が彼に加わり、神のすべ
ての戒めを守るという固い決心をした。彼らが、最初のセブンスデー・
アドベンチストであった。
この群れの世話をしていたフレデリック・フィーラーという牧師も、
間もなく、第7日目安息日を受けいれて、最初のセブンスデー・アドベ
ンチストの牧師になった。同じ州に住んでいたもう1人のアドベンチス
トの牧師、T・M・プレブルも、1845年2月に、安息日の真理を受
けいれて、再臨信徒の雑誌の1つである「イスラエルの望み」に記事を
載せ、第4条は、守るべきものであることを示した。マサチューセッツ
州、フェアヘーブンに住んでいた著名なアドベンチストの牧師、ジョゼ
フ・べーツは、プレブルの書いた記事を読んで、第7日目安息日を受け
入れた。その後、しばらくたってから、べーツ長老は、ニューハンプシ
ャー州のワシントンに行って、そこに住んでいる安息日を守る再臨信徒
と一緒に新たに見出した真理の研究をした。彼は、安息日の真理に対す
る十分な確信を抱いて、家に帰った。やがてべーツは、第4条は守るべ
きものであることを書いたトラクトを、出版する決心をした。彼が書い
た48ページの安息日に関するパンフレットは、1846年8月に出版
された。その1部が、8月末に結婚したジェームズ・ホワイトとエレン・
ホワイトの手に入った。彼らは、そこに示されていた聖書的証拠に基づ
いて、安息日を守り始めた。エレン・ホワイトは後にこの事について、
「われわれは、1846年の秋に、聖書の安息日を守り始めて、それを
教え、また擁護し始めた。」と書いた(教会へのあかし第1巻75ページ)。
経験と幻
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安息日の重要性が示される
ジェームスとエレン・ホワイトは、べーツ長老のトラクトに書かれて
いた聖書的証拠だけに基づいて決心した。そして、彼らが7日目の安息
日を守って教え始めてから7か月後の、1847年4月の最初の安息日
に、メイン州トプシャムにおいて、主は、ホワイト夫人に幻を与えて、
安息日の重要なことを強調された。彼女は、天の聖所の箱のなかに律法
の板を見、第4条のまわりに栄光が輝いているのを見た。こうして、神
のみ言葉の研究によって、以前にとった立場が確認された。また、幻は、
安息日遵守に関する信徒の見解を広げるのにも役立った。ホワイト夫人
はこの幻の中で、時の終わりにまで連れていかれて、安息日が、神に仕
えるか、それとも背信の勢力に仕えるかを、人々が決定する大試金石に
なることを見た。彼女は、この時のことを振りかえって、1874年に
次のように書いた。
「わたしは、安息日についての幻をなにも見ない前に、安息日問題に
ついての真理を信じた。安息日の重要性と第三天使の使命におけるその
位置について示される数か月前に、わたしは、安息日を守りはじめてい
た。」(E・G・ホワイト手紙2、1874年)

2017年8月17日木曜日

どうですが?貴方の目と理解がいかに歪んでいるか証拠をお見せしましょうその2

その2
どうですが?貴方の目と理解がいかに歪んでいるか証拠をお見せしましょう
(私も最初はそうでした)このミカエルは誰か?について証拠を連載します よく読んでいないのはどちらか異端か証明します
メルキゼデクは誰かご存知の方は多いようです が
あるカルト集団がイエスはミカエルだと最近言わなくなりましたがそれには「理由があります 御使い=神として何度も書かれていますそれは エホバの証人には都合が悪いからです
ミカエルの声
私たちがユダ 9 の「天使のかしら[archangel]」という言葉を分析して調べるときにまた、興味深
いことを見ることができる。ユダ 9 以外に「天使のかしら」という言葉はIテサロニケ 4:16 のみで
使われています。文脈に注目してください。「すなわち、主ご自身が  天使のかしらの声と神のラッ
パの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々
が、まず最初によみがえり」。キリストにあって死んだ人々をよみがえらせるのは天使のかしらの
声で、主ご自身が叫ばれます。これは天使のかしらと主は一つで同じであることをしめしています。
イエスが、天使のかしらの声で叫ばれるお方です。死人を起こされる「最も偉大なメッセンジャー」
なのです。
御使は死者を読みがえさせることはできないことは明らかです。命を与える神だけが命を回復する
ことがおできになるのです。「それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、
子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。...このことを驚くには及
ばない。墓の中にいる者たちがみな  神の子の声  を聞き、善をおこなった人々は、生命を受けるため
によみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時
が来るであろう」(ヨハネ 5:26、28、29)。

どうですが?貴方の目と理解がいかに歪んでいるか証拠をお見せしましょう1

どうですが?貴方の目と理解がいかに歪んでいるか証拠をお見せしましょう
(私も最初はそうでした)このミカエルは誰か?について証拠を連載します よく読んでいないのはどちらか異端か証明します
メルキゼデクは誰かご存知の方は多いようです が
あるカルト集団がイエスはミカエルだと最近言わなくなりましたがそれには「理由があります 御使い=神として何度も書かれていますそれは エホバの証人には都合が悪いからです
 
証拠その1
司令官を礼拝する
イスラエルが約束の地に入って後、最初の戦いに備えるために、ヨシュアは、通常でない大将に出
会いました。「ヨシュアがエリコの近くにいたとき、目を上げて見ると、ひとりの人が抜き身のつ
るぎを手に持ち、こちらに向かって立っていたので、ヨシュアはその人のところへ行って言った、
『あなたはわれわれを助けるのですか。それともわれわれの敵を助けるのですか』。彼は言った、
『いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ』。ヨシュアは地にひれ伏し拝して言った、『何
をしもべに告げようとされるのですか』。すると主の軍勢の将はヨシュアに言った、『あなたの足
のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である』。ヨシュアはそのようにした」(ヨ
シュア 5:13-15)。ヨシュアがこの方を拝んだだけでなく、主の軍勢の将はヨシュアが拝むのを受け
入れたのでした。ただの天使であるなら、そんなことはしていけないと天使がヨハネを戒めたよう
に、そんなことはしてはいけないとヨシュアも戒められたに違いありません(黙示録 19:10、22:8、
9)。
どの場合でも、「主の御使」を拝むことを許しているということは、神の子であることを明らかに証
しています。普通の天使を拝もうとすると、天使は断じてその行為を拒んでいます! 荒野における
イエスでさえ、サタンに言われました。「イエスは答えて言われた、『「主なるあなたの神を拝し、
ただ神にのみ仕えよ」と書いてある』」(ルカ 4:8)。
事実、イエスが初臨なされた時、すべての天使はイエスを拝するよう命じられました。 「さらにま
た、神は、その長子を世界に導き入れるに当って、『神の御使たちはことごとく、彼を拝すべきで
ある』と言われた」(ヘブル 1:6)。サタンは、いつか彼もイエスを王として認め、礼拝するよう
強いられる時の来る時を知って激怒した。「それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のも
の、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、『イエス・キリストは
主である』と告白して、栄光を父なる神に帰するためである」(ピリピ 2:10-11)。
パウロでさえも神の使とイエスの著しい関係を示しました。「かえってわたしを、神の使かキリス
ト・イエスかでもあるように、迎えてくれた」(ガラテヤ 4:14)。「衆軍の主」という使い方が聖書に
245 回出てきます。それは、「神の天使軍の司令官」という意味です。だから、ヨシュアが見た「主
の衆軍の長」は、合天使でなく、イエスご自身です。だから、ヨシュアに現れた方は靴を脱ぎなさ
11
いと命令なさったのです。イエスがおられたので、そこは聖なる所となったのでした。それは、モ
ーセの燃える柴もそうでした。したがって、ミカエルは、主の軍勢の長であり、イエスのもう一つ
の肩書であることが分かるでしょう。

2017年8月14日月曜日

爆弾!!聖書の予言ダニエル書の予言の裏付け2520年の予言





イスラエル離散の経緯

BC742
北イスラエル ユダ の 戦いから イスラエル離散は始まる
7:1 ユダの王、ウジヤの子ヨタム、その子アハズの時、スリヤの王レヂンとレマリヤの子であるイスラエルの王ペカとが上ってきて、エルサレムを攻めたが勝つことができなかった。

BC723 2列王記17:4;5  北イスラエルのホセア捕囚にとられる
17:4 アッスリヤの王はホセアがついに自分にそむいたのを知った。それはホセアが使者をエジプトの王ソにつかわし、また年々納めていたみつぎを、アッスリヤの王に納めなかったからである。そこでアッスリヤの王は彼を監禁し、獄屋につないだ。
17:5 そしてアッスリヤの王は攻め上って国中を侵し、サマリヤに上ってきて三年の間、これを攻め囲んだ。

BC677 南ユダ王国のマナセバビロンに捕囚に取られる 2歴代志 
33:11 それゆえ、主はアッスリヤの王の軍勢の諸将をこれに攻めこさせられたので、彼らはマナセをかぎで捕え、青銅のかせにつないで、バビロンに引いて行った。
以下はイスラエルを離散させるときの型になっています これが霊的イスラエルを集めるときの型対象形として使われていますので覚えておいてください
BC742~ 19年間~BC723~46年間~ BC677
BC742~65年間~ BC677

イスラエルが散らされる時の期間は2520
ダニエル5:24 それゆえ、彼の前からこの手が出てきて、この文字が書きしるされたのです。
5:25 そのしるされた文字はこうです。メネ、メネ、テケル、ウパルシン。
5:26 その事の解き明かしはこうです、メネは神があなたの治世を数えて、これをその終りに至らせたことをいうのです。
5:27 テケルは、あなたがはかりで量られて、その量の足りないことがあらわれたことをいうのです。
5:28 ペレスは、あなたの国が分かたれて、メデアとペルシャの人々に与えられることをいうのです」。

メネは1ミナの事で1000を表す 
テケルはシケルで20を表す
ペレは足りない分と言う意味で半分50を表す
メネ メネ テケル ペレ で 2520
この2520年が一番長いサイクルとなっています。

2520360×7で1週 七時として書かれている つまり イスラエルは2520年(7日11年を360
日とする)散らされる 起点は北イスラエル王国ホセアの捕囚から2520年という事です。
その後再びイスラエルが集められるという事です。
再び集められる七時の後は1844年になります。という事は再建派や肉的イスラエルが集められるのではなく霊的イスラエルとしてすでに集められていることになります。

ダニエル4:16 またその心は変って人間の心のようでなく、獣の心が与えられて、七つの時を過ごさせよ

 ダニエル4:23 ところが、王はひとりの警護者、ひとりの聖者が、天から下って、こう言うのを見られました、『この木を切り倒して、これを滅ぼせ。ただしその根の切り株を地に残し、それに鉄と青銅のなわをかけて、野の若草の中におき、天からくだる露にぬれさせ、また野の獣と共にその分にあずからせて、七つの時を過ごさせよ』と。
4:25 すなわちあなたは追われて世の人を離れ、野の獣と共におり、牛のように草を食い、天からくだる露にぬれるでしょう。こうして七つの時が過ぎて、ついにあなたは、いと高き者が人間の国を治めて、自分の意のままに、これを人に与えられることを知るに至るでしょう

その他の七時を表すもの
 26:33 わたしはあなたがたを国々の間に散らし、つるぎを抜いて、あなたがたの後を追うであろう。あなたがたの地は荒れ果て、あなたがたの町々は荒れ地となるであろう。

レビ26:18 それでもなお、あなたがたがわたしに聞き従わないならば、わたしはあなたがたの罪を重く罰するであろう。
26:21 もしあなたがたがわたしに逆らって歩み、わたしに聞き従わないならば、わたしはあなたがたの罪に従って七倍の災をあなたがたに下すであろう。
26:24 わたしもまたあなたがたに逆らって歩み、あなたがたの罪を七倍重く罰するであろう。
26:28 わたしもあなたがたに逆らい、怒りをもって歩み、あなたがたの罪を七倍重く罰するであろう


ダニエル70週の預言はキリストが6週半に十字架で処刑されることの預言

エルサレム再建命令BC457から70×7 490
ダニエル9:24 あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。
9:25 それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。
9:26 その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。
9:27 彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」

ではいつから70週か?。

エルサレムを建て直せ

エルサレム再建命令は紀元前五三六年、四五七年、四四四年です
以下457年が主な再建命令と解釈できます


エズラ7:25 エズラよ、あなたはあなたの手にある神の知恵によって、つかさおよび裁判人を立て、川向こうの州のすべての民、すなわちあなたの神の律法を知っている者たちを、ことごとくさばかせよ。あなたがたはまたこれを知らない者を教えよ。

ネヘミヤ8:1 その時民は皆ひとりのようになって水の門の前の広場に集まり、主がイスラエルに与えられたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに求めた。
8:2 祭司エズラは七月の一日に律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、
8:3 水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。民はみな律法の書に耳を傾けた。
8:4 学者エズラはこの事のために、かねて設けた木の台の上に立ったが、彼のかたわらには右の方にマッタテヤ、シマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤおよびマアセヤが立ち、左の方にはペダヤ、ミサエル、マルキヤ、ハシュム、ハシバダナ、ゼカリヤおよびメシュラムが立った。

では紀元前457年から62週で起こったことはキリストの出現です 公生涯 としてバプテスマのヨハネにより洗礼を受けました そして その3年半後に十字架にかけられました  ダニエル9:27
彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう 成就
その3年半後ステファノの殉教があり ペテロが これは救いが異邦人に移ったことと言えます

使途10:12 その中には、地上の四つ足や這うもの、また空の鳥など、各種の生きものがはいっていた。
10:13 そして声が彼に聞えてきた、「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」。
10:14 ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。
10:15 すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。

ここで7x70 許しなさいと言われたことが成就します 
9:24 あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。
9:25 それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。
9:26 その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。
9:27 彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。
久保有政さんのサイトより参照

以下エルサレム再建命令
エズラ7:12 「諸王の王アルタシャスタ、天の神の律法の学者である祭司エズラに送る。今、
7:13 わたしは命を下す。わが国のうちにいるイスラエルの民およびその祭司、レビびとのうち、すべてエルサレムへ行こうと望む者は皆、あなたと共に行くことができる。
7:14 あなたは、自分の手にあるあなたの神の律法に照して、ユダとエルサレムの事情を調べるために、王および七人の議官によってつかわされるのである。
7:15 かつあなたは王およびその議官らが、エルサレムにいますイスラエルの神に真心からささげる銀と金を携え、

7:16 またバビロン全州であなたが獲るすべての金銀、および民と祭司とが、エルサレムにあるその神の宮のために、真心からささげた供え物を携えて行く。
7:17 それであなたはその金をもって雄牛、雄羊、小羊およびその素祭と灌祭の品々を気をつけて買い、エルサレムにあるあなたがたの神の宮の祭壇の上に、これをささげなければならない。
7:18 また、あなたとあなたの兄弟たちが、その余った金銀でしようと思うよい事があるならば、あなたがたの神のみ旨に従ってそれを行え。
7:19 またあなたの神の宮の勤め事のためにあなたが与えられた器は、エルサレムの神の前に納めよ。
7:20 そのほかあなたの神の宮のために用うべき必要なものがあれば、それを王の倉から出して用いよ。
7:21 われ、アルタシャスタ王は川向こうの州のすべての倉づかさに命を下して言う、『天の神の律法の学者である祭司エズラがあなたがたに求める事は、すべてこれを心して行え。
7:22 すなわち銀は百タラントまで、小麦は百コルまで、ぶどう酒は百バテまで、油は百バテまで、塩は制限なく与えよ。
7:23 天の神の宮のために、天の神の命じるところは、すべて正しくこれを行え。そうしないと神の怒りが、王と王の子らの国に臨むであろう』。
7:24 われわれは、またあなたがたに告げる、『祭司、レビびと、歌うたう者、門衛、宮に仕えるしもべ、および神のこの宮の仕えびとたちには、みつぎ、租税、税金を課してはならぬ』。
7:25 エズラよ、あなたはあなたの手にある神の知恵によって、つかさおよび裁判人を立て、川向こうの州のすべての民、すなわちあなたの神の律法を知っている者たちを、ことごとくさばかせよ。あなたがたはまたこれを知らない者を教えよ。
7:26 あなたの神の律法および王の律法を守らない者を、きびしくその罪に定めて、あるいは死刑に、あるいは追放に、あるいは財産没収に、あるいは投獄に処せよ」。

666の獣とダニエル書の預言
12:7 かの亜麻布を着て、川の水の上にいた人が、天に向かって、その右の手と左の手をあげ、永遠に生ける者をさして誓い、それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民を打ち砕く力が消え去る時に、これらの事はみな成就するだろうと言うのを、わたしは聞いた。
12:11 常供の燔祭が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。
12:12 待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです。

42か月 三年半 一年二年半年 1260日 、ひと時とふた時と半時 同じ意味

黙示女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。

黙示12:14 しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。

黙示13:5 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。1

ここは1290となっていて126030ずれていますがこれはキリストの準備期間(生まれてからバプテスマのヨハネの洗礼(公生涯)までの準備期間と同じ30
年が割り振りされています。又週の半ばであり 偽物は本物のコピーをしてきます。

これはほかの計算でも証明できますがここでは省略します。
ダニエル12:11 常供の燔祭が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。

では北イスラエル王国の離散BC723から2520(メネメネテケルペレの真ん中1260年目AD538には何が起こりましたか?

AD538法王の敵対勢力であるアリウス派の東ゴート王国を征服することで法王権が世界支配へと入って行った。
AD508その30年前(偽キリストの準備期間)には何が起こったでしょうか?
フランク王国ローマカトリックの配下に

もう解りましたね 666荒らす憎むべきものは ローマ教皇です。

AD538から1260年後 3日半 最初から2520年後何が起こりましたかAD1798
ナポレオンに財産を没収されました ダニエル書と黙示録の予言通りローマ教皇1260年の支配がここで終わっています
1798年、教皇領全体がローマ共和国の樹立を宣言したフランス軍によって侵略された。教皇ピウス61799年にフランスで幽閉中に没した。

では その1798から46年後 ユダ王国の離散BC677から2520年後1844に何が起こったかと言うと再臨運動です この46年は散らされた46年でもあり
46はモーセがシナイ山に入って十戒の板を頂くまでの期間であり
第二神殿の建設にかかった46年でもあります

ヨハネ2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。

つまりこの46年は霊的イスラエルの呼び集めであり 福音派が言うような イスラエルの再建とは違っています。


ダニエル書2300の朝と夕
ダニエル8:14 彼は言った、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」
ではエルサレム再建命令から2300日の夕と朝つまり2300年はいつでしょうか 起点をエルサレム再建命令にする根拠は後ほど書きます
紀元前457年から2300年は1844年になります
これを裏付けるものが 2つあります一つは 
ダニエル7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。
7:26
しかし審判が行われ、彼の主権は奪われて、永遠に滅び絶やされ、
13:5 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
ダニエル
12:11
常供の燔祭が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。
 30 年 と 1260日 
1335年
荒らす憎むべきもの


13:4
また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。
13:5
この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。

オストロゴス(東ゴート)が538年ローマから追放されることにより、ローマ法王権が確立します
1798
年 ナポレオンカトリック財産没収
1290年
508
年 フランク王国政教一致 神聖ローマ帝国として政教一致
1260年 42か月に一致
1335年-1290年=45年
カトリックの支配が終わった 1798
46
年は第二神殿を建てるのにかかった年数でもあります
1335
年待つと1844年になり計算は合います
荒らす憎むべきものから「逆算しても起点は
bc
四五七年になります


黙示録13:17 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
13:18 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。


この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。  ローマ教皇 の別の名前神の子の代理→代理とは代わりはアンチになります

の数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。 666とはラテン語で「神の子の代理」を意味する"Vicarius Filii Dei"の、ローマ数字部分を足し合わせたものと一致する

これで計算しても終着点は1844年になり二重三重に計算が合います。

預言に関して参考

https://youtu.be/tHbHJPJywUc

ダニエル書の預言についての参考

https://www.youtube.com/watch?v=ej9dw06IwBw&list=PLb2Nwr3yYJ4MmgoVtNz7Unt1V-GXHNN96

多くを知る必要はないのかもしれない

聖書の知識 知っていることは必要ですが 多くの事を知っていても キリストの性格 と自分の性格が乖離していれば 何の意味もありません 知識だけでは 全うすることはできないでしょう。 知識を得たいと言うのは自分の知的願望であって キリストを知りたいと言う願望とは性質の違うものに...