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2017年6月14日水曜日

羊毛と亜麻糸を混ぜて織った着物を着てはならない

申命記22:9 ぶどう畑に二種の種を混ぜてまいてはならない。そうすればあなたがまいた種から産する物も、ぶどう畑から出る物も、みな忌むべき物となるであろう。
22:10 牛と、ろばとを組み合わせて耕してはならない。
22:11 羊毛と亜麻糸を混ぜて織った着物を着てはならない

よくある話ですが 日本人はイスラエルである 吉田松陰の言葉を聖書と重ねる 仏教徒御言葉を重ねる 人の話 言い伝えなどと混同する など 時々クリスチャンの間でもそういう話をします  伝道の時はそういった 言い方も良いでしょうが

1コリ 9:19 わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。
9:20 ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。
9:21 律法のない人には—わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが—律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。
9:22 弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。
9:23 福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。

これを自分の精神とするのは 問題がある 神の言葉は言葉であって 他に対象すべきではありません これを対照するのが儒教陽明学であります いわゆる 日本の美徳とされる 精神です (長州 吉田松陰)これらは 美徳とされる傾向がありますが 忠誠心は 序列などの地位 に対するものであり 信仰による 忠誠心ではありません。二つのものを混ぜ合わせることにより 神の作られた 秩序を変えることとなります



2017年6月7日水曜日

早く この ダマシ に 気づいてください 宗教ビジネスに騙されています

一部再登校 聖書を読めば簡単にわかる事ですが 今だ自分で読まず週に一回教会に行ってパラパラと聖書をめくるだけ キリストは祝福してくれると 自分に良いことが起こる事だけを期待して 口では愛があると叫んでいるクリちゃんの方々どれだけ 騙されているかも知らず 根拠のない考える気もしないクダラン投稿を何も考えずに してくる 人達 仮住まい運動 だの ヘンテコステテコ運動 だの 考えてみれば 解る事だ運動とワザワザ 付けるのは 殆んどが 人集めの為である

福音化という言葉も そのものではなく その様にすると言う忌で使わているという事です いわゆる 宗教ビジネスである 皆さんおなじみの聖霊大好きおじさん チョーヨンギのメッセージは 信念の魔術  https://www.amazon.co.jp/%E4%BF%A1%E5%BF%B5%E3%81%AE%E9%AD%94%E8%A1%93-C-M-%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB/dp/4478730172
信念の魔術 単行本 – 1982/2 C.M.ブリストル (著), 大原 武夫 (著), 秦 郷次郎 (著) からパックているどころか同じ話をメッセージで引用しています 又今日の経営セミナーなどでもこのイカガワシイ 本を利用しています このオカルト本が今日の新興宗教のベースになっており 人をいかに騙せるか?という方法は研究されています 人の欲望を満たすし 引き寄せ ビジネスとするためのものです

 へブル11:1 を 悪用し ニューエイジに導いています ご存じのように 実 を見ればわかる事です チョーヨンギの重婚問題を筆頭に 教会内でのレイプ事件 殺人事件 教会内での不倫 など その実を見れば明らかです 又カトリックも同じで 方法は古典的ですが 嘘は1000年つても 嘘です 歴史やが格式があるからと言って スンバラシ~イと人は信用しやすいだけです 信仰が組織や教会にあり キリストに信仰が無いのです

 本当にへりくだると いう事は 自分の能力に頼らず 天父に頼るという事です。 それは祈りと信仰により与えられます 一生かけてやるぐらいの覚悟が必要です これらの力 能力 奇跡は 信仰と祈りにより 天父から 来るものです ヨハネ11:42 あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。 聖書がいいっているのは地上のキリストが祈って天父の栄光を現したという事です しかしながら 今日 多くの教会は 聖霊が充満し溢れでて 奇跡や能力が顕れると教えています。これは 大変な誤謬です 自分の中からあふれ出るもの としています。 内在の聖霊と天父から来る聖霊の働きでははっきりと違いがあり奇跡を内在すなわち自分からでたものと勘違いさせて 神秘主義へと誘導しています いわゆる 心霊術オカルトの類です この様な考え方はニューエイジ思考であり大変きけんであります ご自分で注意深く聖書を読めばわかります

2017年6月6日火曜日

聖霊様に祈ると言うニューエイジの危険性

皆さん聖霊と言うのは 認めるとか 認めないと言うものではなくキリストを指し示すために働いておられます  しかし聖書のどこに聖霊に祈れと書いてあるでしょうか?  祈るのは キリストの名前により天父に祈れと書いてあります キリストに対して祈ることもあります が どこにも 聖霊に対して祈れと書いてはなく 御霊によってと書いてあります それは御霊がキリストを示すからです ではなぜこのような ミスリード 誤謬 が 出てくるのでしょうか 偽物の三位一体です 横並びに 天父 御子 聖霊 とあり それぞれに対して 祈ると いう 異教の考え方です 何とか三尊 とか  マンダラ とか 言うような 横並びの視覚 に対して 信仰を持っています。 この様な 祈りの宛先を 違わせると 聖霊による 示しではなく 偽の 例による 答えが返ってきます これは 私は以前このような事を知らんかったため  何度も経験しています この様な信仰を持つものは心霊術の騙されており サウルと同じような結末 になります 前にも書きましたが 聖霊は天父からの者です 充満してあふれ出て奇跡を起こすものではありません 内在の聖霊は 義 罪 裁き などを示します どなた様も是非騙されないように ご注意ください

2017年5月30日火曜日

尊い労苦とその能力を与えていただけるもの

普段の生活において キリストに仕える者は 心を尽くし 人に使えなければならない
自分の利より 人のために働かなければならないのですが 
ところが そんなに 最初から能力があるものでもありません
そのような 働きができ 人の役に立つには相当な経験や忍耐が必要です
要するにそれが出来れば神の栄光を表すことの一つになります
これは自力ではできません しかし 本当にあなたが 天父の栄光を表したいのなら
又そういう信仰があるなら 天父の御力により成し遂げることができます。
これは 自分の能力では到底できないことであります。
自分の能力でやろうとすると 失望や苦い経験をします 一見悪いことの様に思えますが 起用にこなせる人には 神の御力は必要ありません いわゆる カインの捧げもの(地の産物)は退けられます。
本当にへりくだると いう事は 自分の能力に頼らず 天父に頼るという事です。
祈りと信仰により与えられます 一生かけてやるぐらいの覚悟が必要です

これらの力 能力 奇跡は 信仰と祈りにより 天父から 来るものです
ヨハネ
11:42 あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。

聖書がいいっているのは地上のキリストが祈って天父の栄光を現したという事です

しかしながら 今日 多くの教会は 聖霊が充満し溢れでて 奇跡や能力が顕れると教えています。これは 大変な誤謬です 自分の中からあふれ出るもの としています。
内在の聖霊と天父から来る聖霊の働きでははっきりと違いがあり奇跡を内在自分からでたものと勘違いさせて 神秘主義へと誘導しています いわゆる 心霊術オカルトの類です
この様な考え方はニューエイジ思考であり大変きけんであります ご自分で注意深く聖書を読めばわかります


2017年5月27日土曜日

世界経済破綻と人類奴隷化計画


最後の時にだれが 売ったり買ったりすることのできない状態にするのでしょうか 
666とはだれか? 経済の仕組みにより奴隷化計画を進めているのは?
陰謀論でもなく 事実です

2017年5月26日金曜日

律法(トラー)の実態と影 

律法(トラー)の実態と影 
この律法に関して言えば
コロサイ2:17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある

これは前後を見ればわかる通り その方法に対してジャッジしてはいけないという事でありそのもの自体はあるという事です 自分の都合で解釈すると違う意味になります 指導者も同じような間違った理解をしています。

この律法の廃止と言う間違った考え方について書きたいと思っています。

皆さんご存知のゲッセマネでペテロにヤシュア(イエス)は寝てはいけないと言われました この日は過ぎ越しの日ですしかしながらゲッセマネでも 過ぎ越しの食事でも足にくつをはき、手につえを取って、急いでそれを食べなければならない。これは主の過越である。とはいっておられないのです

出エジプト12:11 あなたがたは、こうして、それを食べなければならない。すなわち腰を引きからげ、足にくつをはき、手につえを取って、急いでそれを食べなければならない。これは主の過越である。

↓起きていなさいは以下にも同じような意味があります
マタイ25:7 そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。


勿論急いで出ていかなければならないので寝ている暇はありません
重要な時なのです。ここを見てもわかるように規定はなくなり 意味において旧約よりさらなる重要な意味がそこに書かれています 規定(影)はなくなっています
が重要な過ぎ越し(贖い)の意味は失われていません。

しかしながらこの影は意味をよく理解しなければ 関係無いとするだけでは 実態も見失うことになるかもしれません。これらを廃止とすることで見失う事があってはなりません
影となる所のみがさらなるものに置き換わったのです




へブル8:1 以上述べたことの要点は、このような大祭司がわたしたちのためにおられ、天にあって大能者の御座の右に座し、
8:2 人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、ということである。
8:3 おおよそ、大祭司が立てられるのは、供え物やいけにえをささげるためにほかならない。したがって、この大祭司もまた、何かささぐべき物を持っておられねばならない。
8:4 そこで、もし彼が地上におられたなら、律法にしたがって供え物をささげる祭司たちが、現にいるのだから、彼は祭司ではあり得なかったであろう。
8:5 彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」と言われたのである。
8:6 ところがキリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである。それは、さらにまさった約束に基いて立てられた、さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。
8:7 もし初めの契約に欠けたところがなかったなら、あとのものが立てられる余地はなかったであろう。
8:8 ところが、神は彼らを責めて言われた、「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ日が来る。
8:9 それは、わたしが彼らの先祖たちの手をとって、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約にとどまることをしないので、わたしも彼らをかえりみなかったからであると、主が言われる。
8:10 わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。
8:11 彼らは、それぞれ、その同胞に、また、それぞれ、その兄弟に、主を知れ、と言って教えることはなくなる。なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、彼らはことごとく、わたしを知るようになるからである。
8:12 わたしは、彼らの不義をあわれみ、もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。
8:13 神は、「新しい」と言われたことによって、初めの契約を古いとされたのである。年を経て古びたものは、やがて消えていく。

多くを知る必要はないのかもしれない

聖書の知識 知っていることは必要ですが 多くの事を知っていても キリストの性格 と自分の性格が乖離していれば 何の意味もありません 知識だけでは 全うすることはできないでしょう。 知識を得たいと言うのは自分の知的願望であって キリストを知りたいと言う願望とは性質の違うものに...