ブログランキングにご協力ください

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
ランキングにご協力ください

2017年3月31日金曜日

タイガースのマット・マートン僕の人生の目的 

いつものように何を言うのか疑いながら聞いていました 最近クリスチャンと言いながらもどんな人がいるかもわかりませんから 用心するようにしています。

が 彼は簡潔にまともな事を言っています。キリストを伝えたいのでしょう
キリストを知らない人に伝えるのは素晴らしいことです
彼が好成績を残せる一つの理由であります。
しかし世の中うまくいっている時は 誰でもキリストを賞賛できますし
人に与えることもできます しかしながら 人性そううまくいくわけでもありません
成績や事業がうまくいかなくなってきたらどうでしょうか?
自分のプライドや世間体 を 気にし とても 苦しくなります。
あるものが 減っていくからです 自分の能力で解決できない無力さを感じるはずです

その時
ゼパニア1:12 その時、わたしはともしびをもって、エルサレムを尋ねる。そして滓の上に凝り固まり、その心の中で『主は良いことも、悪いこともしない』と言う人々をわたしは罰する。

というような 曖昧 で 信仰が無ければ 滅びます

何もない時ほど 御手を動かされます 又持つものを取り去られご自分の御業を表されます土師記参照↓

そのような強い朽ちない信仰を持つと 滅びずに主の民となることができます。

土師記7:2 主はギデオンに言われた、「あなたと共におる民はあまりに多い。ゆえにわたしは彼らの手にミデアンびとをわたさない。おそらくイスラエルはわたしに向かってみずから誇り、『わたしは自身の手で自分を救ったのだ』と言うであろう。
7:3 それゆえ、民の耳に触れ示して、『だれでも恐れおののく者は帰れ』と言いなさい」。こうしてギデオンは彼らを試みたので、民のうち帰った者は二万二千人あり、残った者は一万人であった。
7:4 主はまたギデオンに言われた、「民はまだ多い。彼らを導いて水ぎわに下りなさい。わたしはそこで、あなたのために彼らを試みよう。わたしがあなたに告げて『この人はあなたと共に行くべきだ』と言う者は、あなたと共に行くべきである。またわたしがあなたに告げて『この人はあなたと共に行ってはならない』と言う者は、だれも行ってはならない」。
7:5 そこでギデオンが民を導いて水ぎわに下ると、主は彼に言われた、「すべて犬のなめるように舌をもって水をなめる者はそれを別にしておきなさい。またすべてひざを折り、かがんで水を飲む者もそうしなさい」。
7:6 そして手を口にあてて水をなめた者の数は三百人であった。残りの民はみなひざを折り、かがんで水を飲んだ。
7:7 主はギデオンに言われた、「わたしは水をなめた三百人の者をもって、あなたがたを救い、ミデアンびとをあなたの手にわたそう。残りの民はおのおのその家に帰らせなさい」。
7:8 そこで彼はかの三百人を留めおき、残りのイスラエルびとの手から、つぼとラッパを取り、民をおのおのその天幕に帰らせた。時にミデアンびとの陣は下の谷の中にあった。
7:9 その夜、主はギデオンに言われた、「立てよ、下っていって敵陣に攻め入れ。わたしはそれをあなたの手にわたす。
7:10 もしあなたが下って行くことを恐れるならば、あなたのしもべプラと共に敵陣に下っていって、
7:11 彼らの言うところを聞け。そうすればあなたの手が強くなって、敵陣に攻め下ることができるであろう」。ギデオンがしもべプラと共に下って、敵陣にある兵隊たちの前哨地点に行ってみると、
7:12 ミデアンびと、アマレクびとおよびすべての東方の民はいなごのように数多く谷に沿って伏していた。そのらくだは海べの砂のように多くて数えきれなかった。
7:13 ギデオンがそこへ行ったとき、ある人がその仲間に夢を語っていた。その人は言った、「わたしは夢を見た。大麦のパン一つがミデアンの陣中にころがってきて、天幕に達し、それを打ち倒し、くつがえしたので、天幕は倒れ伏した」。
7:14 仲間は答えて言った、「それはイスラエルの人、ヨアシの子ギデオンのつるぎにちがいない。神はミデアンとすべての軍勢を彼の手にわたされるのだ」。
7:15 ギデオンは夢の物語とその解き明かしとを聞いたので、礼拝し、イスラエルの陣営に帰り、そして言った、「立てよ、主はミデアンの軍勢をあなたがたの手にわたされる」。
7:16 そして彼は三百人を三組に分け、手に手にラッパと、からつぼとを取らせ、つぼの中にたいまつをともさせ、
7:17 彼らに言った、「わたしを見て、わたしのするようにしなさい。わたしが敵陣のはずれに達したとき、あなたがたもわたしのするようにしなさい。
7:18 わたしと共におる者がみなラッパを吹くと、あなたがたもまたすべての陣営の四方でラッパを吹き、『主のためだ、ギデオンのためだ』と言いなさい」。
7:19 こうしてギデオンと、彼と共にいた百人の者が、中更の初めに敵陣のはずれに行ってみると、ちょうど番兵を交代した時であったので、彼らはラッパを吹き、手に携えていたつぼを打ち砕いた。
7:20 すなわち三組の者がラッパを吹き、つぼを打ち砕き、左の手にはたいまつをとり、右の手にはラッパを持ってそれを吹き、「主のためのつるぎ、ギデオンのためのつるぎ」と叫んだ。
7:21 そしておのおのその持ち場に立ち、敵陣を取り囲んだので、敵軍はみな走り、大声をあげて逃げ去った。
7:22 三百人のものがラッパを吹くと、主は敵軍をしてみな互に同志打ちさせられたので、敵軍はゼレラの方、ベテシッタおよびアベルメホラの境、タバテの近くまで逃げ去った。
7:23 イスラエルの人々はナフタリ、アセルおよび全マナセから集まってきて、ミデアンびとを追撃した。
7:24 ギデオンは使者をあまねくエフライムの山地につかわし、「下ってきて、ミデアンびとを攻め、ベタバラに至るまでの流れを取り、またヨルダンをも取れ」と言わせた。そこでエフライムの人々はみな集まってきて、ベタバラに至るまでの流れを取り、またヨルダンをも取った。

7:25 彼らはまたミデアンびとのふたりの君オレブとゼエブを捕え、オレブをオレブ岩のほとりで殺し、ゼエブをゼエブの酒ぶねのほとりで殺した。またミデアンびとを追撃し、オレブとゼエブの首を携えてヨルダンの向こうのギデオンのもとへ行った。



2017年3月29日水曜日

十枚の銀貨 一枚足りずはお菊井戸か?


ルカ15:8 また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。
15:9 そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。
15:10 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。
キリストは、迷った羊のたとえを語られたあとで、もう1つのたとえを語って言われた。「また、ある女が銀貨10枚を持っていて、もしその1枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。」
パレスチナの貧しい人の家は、大抵一部屋だけで、普通は窓もない暗い部屋であった。それに、部屋の中を掃くことはまれであったので、床
に落ちた銀貨は、すぐにちりやほこりの中に埋まってしまって、それを見つけるためには、昼間でも、あかりをつけて、よく気をつけて掃かな
ければならなかった。花嫁の結婚の時の持参金は、普通、何枚かの銀貨になっていて、彼女は、それを何よりも大切な宝としてしまっておいて、自分の娘に譲るこ
とにしていた。もしも、その中の1枚でも紛失すると、たいへんな災難とみなされた。また、なくなったものが発見されたときの喜びも非常なもので、近所の女たちもともに喜ぶのであった。
「見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うで
あろう。よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう。」
このたとえも、前のと同じように、何かがなくなったけれどもさがしにさがした末に、発見することができて大きな喜びがあったという。大争闘より

もう一つ重要なのはこの結婚のための財産はキリストに嫁ぐためのものであります キリストに嫁ぐために必要なのは神のご品性である十戒でありますですから 10枚の銀貨とは十戒の事です
しかし一枚失われていますがそれは何でしょうか?
第4条の安息日なのです

2017年3月28日火曜日

偽物の愛



毎日キリスト教のsnsを見ていると 下らないなと思います

書いてあるのは 神の愛はすばらしい でも どう素晴らしいのか あまり書いてありませんよね 書いてあっても?と思うことが多いです

罪の事 自分の罪を悔いること いつまで 罪びとなのでしょうか? 許されたり救われたり 神の愛の内にある人が何故 でしょうか 一般人と変わりありませんね

自分の環境の悪さを嘆くしかし神がドウコウしてくださる でも 確かに動揺してるようにしか見えません 神に信頼がある人とは ちょっと違いますね

箴言3:6 すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
3:7 自分を見て賢いと思ってはならない、主を恐れて、悪を離れよ

何故でしょうか 信仰と思い込みを勘違いしているからです 答えを目に見えない処から探さず とりあえず 見えるものから解決を探していてそれで納得しているからです

2コリント5:7 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。

もう一つ言えるのは 嘘の愛です 

一般的なクリちゃんの考え方では 神が愛であるから みな救われると 言う考え方です
しかし 聖書に書いてあるのは真神を信じるものしか救われないとはっきり書いてあります 確かに全ての人を愛しておられますが それは 中保者の故であり 仲保者を通さなければ愛は成立しません
信仰の義は一貫した聖書のテーマです。 神の愛を自分の罪を覆い隠すための嘘の衣に変えてはいけません この様な教えをして 信徒の数を増やそうとして 汚れた衣を着せている牧師たちです そのような人達は 他の人を神の言葉を欺いて 滅びに至らせた
血の責任を問われます。キリストに義の衣を着せていただきましょう

※必ず来る反論を書いておきます お前は救いが無いから哀れだ 神の愛を知ったら そういう風には ならない と言った 反論が来ます  ので 先に 書いておきます

神の哀れみは受けるが あんたらの憐みは受けない 

2017年3月26日日曜日

キリスト教とクリちゃん

キリスト教にはキリストの教えとニケア会議などで歪められた新興宗教キリスト教とがある この両面があることを知っておくべくべきなのですがこれを選別しようと思えばよほど聖書を読まなければわからない所があります。

 例えばこの聖書の聖は造語です キリストは書に書いてあると言われているように 今では屁理屈であるし聖がそれほど反対の意味を持つ言葉であるとは思わないですし そのためにすべての文章を否定しても意味がありませんが知っておく必要があります。
聖と言う言葉がごまかしの為に利用されているケースが多いからです。

政治 宗教 思想 すべての中には自分のアイデンテティーや願望を見たいがために自分の考えを正当化したいという考えを持ちたがる傾向にあります。

そういう人は自分の思っていることが真理なのか?判断できないために精神状態が不安定なために 愛 とか 神は とかを 必要以上に多発します。
ト教をよほど気を付けていなければ知らずにその異教偶像混合宗教とされてしまいます例を上げれば
例えば愛のある人は自分の事を愛であるとは言わないなぜなら大意では愛は他者の為のものだからです。

真理を持っておられるのはヤウエーのみですが個々感じ方が違うわけですが 最終的には真理にたどり着きます。

他の人と意見が違う時に論争が生じるのは自分の意見に確信が無いからです
最初から自分の思いを誇示しようとする 心が強いため他人を受け入れず
表面的な合意によって満足しようとします。もしくは他人を退けて 自分のアイデンティティーを確認したいため 必死になります。

この様な愛や強い思い込みはキリストとは何の関わりもありません又現実の中 政治や経済の中でそれを確証しようとすると ますます キリストから 離れたものになってしまいます。こういう方をクリちゃんと呼ぶようにしています

我々はそれで良しとされているのは キリストの中保があるからで 自らではよしとされないからですそこを勘違いすると自分の成果能力をもってしなければ 実社会では証明出来ません キリストから出た価値観と実社会での価値観は違うので キリストから出た価値観では現実社会では良しとはされません。

ですから キリストの中保なしでは良しとはされない 中保者なしでは単なる罪びとなわけですから たとえ 贖っていただけたとしても 

罪を犯しても許されると 単純にいう事は キリストの血を再度流させる 不届きものとなります。

2017年3月24日金曜日

同性婚と獣の刻印への入り口



同性愛と言う 倫理の問題がいつの間にか法の問題にすり替えられています
同性愛を聖書に基づき罪だと言えば 犯罪者(差別主義)と言われるような時代になりましたこれからどのような 時代になるのでしょうか?

2017年3月23日木曜日

二千三百の夕と朝ダニエル書の預言 


ダニエル8:14 彼は言った、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」


ではエルサレム再建命令から2300日の夕と朝つまり2300年はいつでしょうか 起点をエルサレム再建命令にする根拠は後ほど書きます

紀元前457年から2300年は1844年になります
これを裏付けるものが 2つあります一つは 


ダニエル7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。
7:26 しかし審判が行われ、彼の主権は奪われて、永遠に滅び絶やされ、

黙13:5 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。

ダニエル
12:11 常供の燔祭が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。
 30 年 と 1260日 

1335年

荒らす憎むべきもの

13:4 また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。
13:5 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。

オストロゴス(東ゴート)が538年ローマから追放されることにより、ローマ法王権が確立します
1798年 ナポレオンカトリック財産没収


1290年

508年 フランク王国政教一致 神聖ローマ帝国として政教一致

1260年 42か月に一致

1335年-1290年=45年

カトリックの支配が終わった 1798

46年は第二神殿を建てるのにかかった年数でもあります

1335年待つと1844年になり計算は合います

荒らす憎むべきものから「逆算しても起点は


bc四五七年になります

2017年3月22日水曜日

70週の預言 7の70倍許しなさい

 
動画に表示されるチャートは久保有政さんのサイトより引用していますhttp://www2.biglobe.ne.jp/remnant/057kanzen.htm
一日を一年とする
ダニエル9:24 あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。
9:25 それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。
9:26 その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。
9:27 彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」

ではいつから70週か?。

エルサレムを建て直せ

エルサレム再建命令は紀元前五三六年、四五七年、四四四年です
以下457年が主な再建命令と解釈できます


7:25 エズラよ、あなたはあなたの手にある神の知恵によって、つかさおよび裁判人を立て、川向こうの州のすべての民、すなわちあなたの神の律法を知っている者たちを、ことごとくさばかせよ。あなたがたはまたこれを知らない者を教えよ。

ネヘミヤ8:1 その時民は皆ひとりのようになって水の門の前の広場に集まり、主がイスラエルに与えられたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに求めた。
8:2 祭司エズラは七月の一日に律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、
8:3 水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。民はみな律法の書に耳を傾けた。
8:4 学者エズラはこの事のために、かねて設けた木の台の上に立ったが、彼のかたわらには右の方にマッタテヤ、シマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤおよびマアセヤが立ち、左の方にはペダヤ、ミサエル、マルキヤ、ハシュム、ハシバダナ、ゼカリヤおよびメシュラムが立った。

では紀元前457年から62週で起こったことはキリストの出現です 公生涯 としてバプテスマのヨハネにより洗礼を受けました そして その3年半後に十字架にかけられました  ダニエル9:27

十字架彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう 成就
その3年半後ステファノの殉教があり ペテロが これは救いが異邦人に移ったことと言えます

使途10:12 その中には、地上の四つ足や這うもの、また空の鳥など、各種の生きものがはいっていた。
10:13 そして声が彼に聞えてきた、「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」。
10:14 ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。
10:15 すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。

ここで7x70 許しなさいと言われたことが成就します イスラエルの国家としての救いはなくなりました 個人としてはありますが

これにはひな形もあります エジプトを出てからソロモン神殿の再建まで

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/057kanzen9.jpg引用



多くを知る必要はないのかもしれない

聖書の知識 知っていることは必要ですが 多くの事を知っていても キリストの性格 と自分の性格が乖離していれば 何の意味もありません 知識だけでは 全うすることはできないでしょう。 知識を得たいと言うのは自分の知的願望であって キリストを知りたいと言う願望とは性質の違うものに...