ユダヤ人がイエスを拒んだり、十字架につけたりした事を考えると、ぎょっとする人は多い。 その恥ずべき虐待の話を読むと、「私はキリストを愛してい る。 自分なら、ペテロのように否定はしなかっただろうし、ユダヤ人がキリストを十字架につけたような事はしなかっただろう」と彼らは考える。 しかし神様は、自分の息子に「同情している」と言っている人たちを見て、彼らを試し、口で言うイエスに対する「愛」を確かめている。 GC 104.2
天国にいる者は皆、メッセージが受け入られるかどうか、興味津々に見た。 でも口で「イエスを愛している」と言い、十字架の話を読むと涙を流す人の多くは、メッセージを喜んで受け入れるどころか、憤慨し、イエスのやって来る良い知らせをあざけったりして、「あれは妄想に決まっている」と断言する。 彼らは、イエスの現れを心から期待した人たちを嫌って、仲間外れにし、各教会から締め出した。 最初のメッセージを拒んだ人は、第二のメッセージの恩恵が味わえなかった。 そして信仰上、イエスと一緒に天国の聖所の一番聖なる部屋に入るための準備を整えてくれる「真夜中の叫び」の恩恵も味わえなかった。 また、先の二つのメッセージを拒んだので、至聖所への道を示している第三の天使のメッセージにある光が見出せない。 名ばかりの教会は、ユダヤ人がイエスをはりつけたように、これらのメッセージをはりつけにした事を私は見た。 だから彼らは、天国で行なわれた移動や至聖所への道が分からない上、イエスがそこでしている仲裁の恩恵が味わえない。 ユダヤ人が無駄ないけにえをささげたように、彼らはイエスが去った聖所の部屋の方に無駄な祈りをささげる。 「イエスに従っている」と自称する人がだまされ、わなに掛かっているので、サタンは喜んでそのわなをしっかりと締める。 彼は宗教的な様子を装い、この「クリスチャン」と自称している人たちの注意を自分の方に向けさせ、力、しるしや不思議な偽りを見せて働く。 ある人をある方法でだまし、他の人を違う方法でだます。 彼はそれぞれの考え方に合う惑わしを作って、仕掛けてくる。 ある惑わしに対してぎょっとしても、別の惑わしを容易に受け入れる人がいる。 サタンは、ある人たちを交霊術で惑わす。 また、光の天使のふりをしながら、やって来て、影響を地に広げる。 至る所に偽りの改革が起こっているのを私は見た。 各教会は、「神様は我々のために素晴らしい事をしている!」と意気揚々に受け取ったが、本当は、これが違う霊のしわざだった。 こんなものは次第に消え、世と教会を以前より悪い状態に残してしまう。