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2017年5月26日金曜日

律法(トラー)の実態と影 

律法(トラー)の実態と影 
この律法に関して言えば
コロサイ2:17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある

これは前後を見ればわかる通り その方法に対してジャッジしてはいけないという事でありそのもの自体はあるという事です 自分の都合で解釈すると違う意味になります 指導者も同じような間違った理解をしています。

この律法の廃止と言う間違った考え方について書きたいと思っています。

皆さんご存知のゲッセマネでペテロにヤシュア(イエス)は寝てはいけないと言われました この日は過ぎ越しの日ですしかしながらゲッセマネでも 過ぎ越しの食事でも足にくつをはき、手につえを取って、急いでそれを食べなければならない。これは主の過越である。とはいっておられないのです

出エジプト12:11 あなたがたは、こうして、それを食べなければならない。すなわち腰を引きからげ、足にくつをはき、手につえを取って、急いでそれを食べなければならない。これは主の過越である。

↓起きていなさいは以下にも同じような意味があります
マタイ25:7 そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。


勿論急いで出ていかなければならないので寝ている暇はありません
重要な時なのです。ここを見てもわかるように規定はなくなり 意味において旧約よりさらなる重要な意味がそこに書かれています 規定(影)はなくなっています
が重要な過ぎ越し(贖い)の意味は失われていません。

しかしながらこの影は意味をよく理解しなければ 関係無いとするだけでは 実態も見失うことになるかもしれません。これらを廃止とすることで見失う事があってはなりません
影となる所のみがさらなるものに置き換わったのです




へブル8:1 以上述べたことの要点は、このような大祭司がわたしたちのためにおられ、天にあって大能者の御座の右に座し、
8:2 人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、ということである。
8:3 おおよそ、大祭司が立てられるのは、供え物やいけにえをささげるためにほかならない。したがって、この大祭司もまた、何かささぐべき物を持っておられねばならない。
8:4 そこで、もし彼が地上におられたなら、律法にしたがって供え物をささげる祭司たちが、現にいるのだから、彼は祭司ではあり得なかったであろう。
8:5 彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」と言われたのである。
8:6 ところがキリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである。それは、さらにまさった約束に基いて立てられた、さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。
8:7 もし初めの契約に欠けたところがなかったなら、あとのものが立てられる余地はなかったであろう。
8:8 ところが、神は彼らを責めて言われた、「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ日が来る。
8:9 それは、わたしが彼らの先祖たちの手をとって、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約にとどまることをしないので、わたしも彼らをかえりみなかったからであると、主が言われる。
8:10 わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。
8:11 彼らは、それぞれ、その同胞に、また、それぞれ、その兄弟に、主を知れ、と言って教えることはなくなる。なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、彼らはことごとく、わたしを知るようになるからである。
8:12 わたしは、彼らの不義をあわれみ、もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。
8:13 神は、「新しい」と言われたことによって、初めの契約を古いとされたのである。年を経て古びたものは、やがて消えていく。

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