2コリント5:7 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。
この事は有名なへブル11:1 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
なのですが 具体的にはどういうことなのでしょうか?言葉としては知っていても現実の生活の中ではかなり必要な事なのですが あまり 語られる事はありません。
どちらかと言うと目に見える神の御業に注目されます それは 信仰が現実になる最終段階でそれまでに至る信仰と言う面に関しては あまり 興味を持つ人たちは少ないです。
では具体的にはどのような事かと申しますと 貴方が誰かに心当たりの無いことで悪口を言われたとします 目に見える世界では 反論し自分の正当性を主張しなければ無意味と思えるのですが 信仰の世界では 父ヤウエーは見ておられ貴方がどうなのかは ご存知です これに対し 天父が対応されると 思っていれば 対応は変わってきます。
又自分はキリスト無しには罪びとなのに 罪びとを告発することはできないのです。
どのような態度で臨めばよいのかを考えるとそこには謙遜が必要です
しかし 難しいのは反論し自分の正当性を主張しなければいけない 時もあります。
それはトラー律法を元に罪がはっきりしていてその人が気づいていない時はそれを告げないといけない時もあります これは愛が必要ですが誤解を受けたりしやすいです
何が無くても直接的に物事を願うよりすべて キリストを通し願いそれを聞いてくださると言う信仰なのです どのような 答えが返ってきて 物事がどのように変化するかは
全く受け手の側は解らず答えや変化のイメージを自分で持ちすぎると見逃してしまいます。
キリストは、この祈りに答えるため、また、
この保証を果たすために、絶えず働いておられるのである。人間に衣服
や食物を与えるために、目に見えない力が、人間のために常に活動を続
けている。一見、捨て去られたように思われる種を生きた植物にするた
めに、主は、いろいろの方法をお用いになる。そして、豊かな収穫をも
たらすために必要なものを、適当にお与えになる。詩篇の記者は、美し
く次のようにそのことを歌っている。
「あなたは地に臨んで、これに水をそそぎ、
これを大いに豊かにされる。
神の川は水で満ちている。
あなたはそのように備えして
彼らに穀物を与えられる。
あなたはその田みぞを豊かにうるおし、
そのうねを整え、夕立をもってそれを柔らかにし、
そのもえ出るものを祝福し、
またその恵みをもって年の冠とされる。
あなたの道にはあぶらがしたたる」(詩篇 65:9-11
各時代の希望より
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