十戒は、神ご自身によって語られ、神ご自身の手によって書かれた。
それは神がおつくりになったものであって、人間のつくったものではな
い。しかし、神から与えられた真理が人間の言葉に表現されている聖書
には、神的なものと人間的なものとの結合がみられる。このような結合
は、神の子であると同時に人の子であったキリストの性質の中にもあっ
た。このように、『言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った』という
ことは、キリストご自身についてと同様に、聖書についても言えるので
ある(ヨハネ 1:14)。
聖書は、時代が異なり、身分や職業、また知的霊的な才能も広く異な
った人々によって書かれたので、その中の諸書は、そこに示されている
主題の性質が異なっていると同時に、その文体にもいちじるしい対照が
みられる。それぞれ異なった記者によって、それぞれ異なった表現形式
が用いられている。同じ真理を、ある記者は他の記者よりも特にめだっ
て強調していることがよくある。幾人かの記者が、異なった角度と関連
から1つの主題を示しているので、浅薄に、不注意に、あるいは偏見を
もって、これを読む者には、相違や矛盾があるように思われるかも知れ
ないが、思慮深い、敬虔な者が、はっきりした眼でこれを読めば、その
根底には調和があることに気づくのである。
真理は、いろいろな人によってあらわされているので、いろいろな角
度から示されている。ある記者は問題のある一面に特に強い感動を受け
ている。彼は、自分の経験や自分の知覚力、認識力に合う点を把握して
いる。またある者は、これとは異なった一面を把握している。そしてお
のおのは、聖霊の導きのもとに、自分の心に最も力強く訴えるものを示
しているのである。すなわち、それぞれに真理の異なった一面をもって
いるが、しかしそこには、全体を通じて完全な調和がみられるのである。
このようにしてあらわされた真理は、結合して完全な全体を構成し、人
生のあらゆる境遇と経験の中にある人々の要求にこたえるのに適したも
のとなっているのである。
神は、ご自分の真理を、人間を通して世にお伝えになった。そしてご
自分の聖霊によって、人々に、この働きをなす資格と能力をお与えにな
った。神は人を導いて、語るべきことと書くべきこととを選ばせられた。
1-2 エレン・G・ホワイトとその著作
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2017年8月24日木曜日
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