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2017年3月13日月曜日

救いの定義はいつ変わったんでしょうか?



十字架につけられた 御子を信じる信仰により救われるのであって
キリストの愛を信じるから救われるのではない
そのような事は聖書のどこにも書かれていない
又キリストの血を信じるから救われるのでもない

キリストの愛はキリストの人格の一つである
先日も 愛は 義 と 聖 が無ければ成り立たない 
と書きましたが(どれが欠けても成り立たないと言うことです)
もう一つの理由はこれです 救いの条件として書いてあるのは 
十字架につけられたキリストを信じるとしか書いてありません
勝手に自分の都合の良い所だけ 切り取っているのである
誰がこんなミスリードを始めたのかと思う
義は信仰 聖は清め十字架 愛はキリストの性質です

キリストを信じると言うことは キリストの天父を信じる信仰を信じると言うことと同じです

ガラ2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである

さらに説明すると キリストとかかわりがありキリストを知っていなければならないと言うことです。はっきり書いてあります。愛と言うのは個人では成り立たず必ず相手が必要ですですから こちらからも あちらからも 双方向でなければ成り立ちません

(マタイの福音書 7章21-23節)
わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天 の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです 。

その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出 し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
では父の御心とは何でしょうか

ローマ2:18 御旨を知り、律法に教えられて、なすべきことをわきまえており、

歴代誌上16:14 彼はわれわれの神、主にいます。そのさばきは全地にある。
16:15 主はとこしえにその契約をみこころにとめられる。これはよろずよに命じられたみ言葉であって

戒め十戒トラーです キリストはモーセの律法トラーをすべて守っておられました
でなければ罪なき全き子羊にはなりません し 贖いも成立しません。
(これに関しては下らない反論を良くされますが良く調べてからお願いします)

キリストは生きた立法者トラーなのです(モーセにご自身が教えられたわけですからこれと相反することはありません)

さてみなさんの好きな愛ですが 愛とは何と書いてあるでしょうか

申命記
6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。
6:5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。
6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、
6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。
6:8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、
6:9 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。


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