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2017年3月6日月曜日

神は愛である というがそれから?信仰と希望と愛

神は愛であるが それから だから 何をしてよいのか わからなければ
神との信頼関係は築き得ない 愛であるだけで終われば 実生活の中では役に立たない

暗闇の中でこそ真の戦いに勝利することができる
がそこには信仰による熱心な祈りとその答えを頂く事により 
確信と希望が与えられるのが 本当の勝利なのである

1コリン13:13 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である

生活の中で自分ではドウショウモもできない様な 事態に直面することがある
いわゆる 自分の 持ち物が無いと言うことを自覚すると言う事である
本来すべてがそのような状態で 自分のモノを頼っているがため 表には出てこないが
すべてをキリストに明け渡さなければ無意味であるが みな 自分に不都合な事 自分で処理できない 事が起こった時に のみ明らかにされる
あるものも無いようにふるまわなければならない

箴言13:7 富んでいると偽って、何も持たない者がいる、貧しいと偽って、多くの富を持つ者がいる。

愛である方であるからこそ 信仰を持ち御心の成るように願わなければならない 
そして希望を得られるのである

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