罪びととは神から離れることです しかし 説明が困難になるので 義人という話からしていきます
恵とは
どいう言事かと言うと 義人とは 神の恵みを受け入れることです
(キリストの贖い)
しかし これは 一見与えられるもの の様に感じますが 自分の持っているものを捨てなければ 受け入れることが 出来ない恵みなのです
キリスト者になる方も 多くは自分でどうしょうもない 出来事があった時に キリスト者になった という方が多くおられます。それは 自分の物が無くなっていて キリストの恵みを受け入れやすい 時と言えます。
キリストの品性とは
キリストを信じると言う事=キリストの天父を信じる信仰を信じると言う事
キリストのご性質は与えるご性質です ですから 恵は 受けますが 頂いた恵みを
人にも あげるように なります。又神様から頂いたものが無ければ人にも与えられません。
罪びととはこの恵みを受けず 自分で事をなそうとします。自分の能力でと言うことです。この様に恵みを受けずに 行うことは全て罪です 頂いていない神からの物を持っていないから 自分の能力を頼るのです。いわゆる贖い無の行いは全て罪と言うことです
又恵みを持っていても使わなければ同じです
両者は明らかに 結ぶ実が違うのです
これは ヨブ記を見ればわかることです 最後はヨブはなんと言いましたか?
42:1 そこでヨブは主に答えて言った、
42:2 「わたしは知ります、あなたはすべての事をなすことができ、またいかなるおぼしめしでも、あなたにできないことはないことを。
42:3 『無知をもって神の計りごとをおおうこの者はだれか』。それゆえ、わたしはみずから悟らない事を言い、みずから知らない、測り難い事を述べました。
42:4 『聞け、わたしは語ろう、わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ』。
42:5 わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、今はわたしの目であなたを拝見いたします。
42:6 それでわたしはみずから恨み、ちり灰の中で悔います」。
42:7 主はこれらの言葉をヨブに語られて後、テマンびとエリパズに言われた、「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。あなたがたが、わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである。
42:8 それで今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブの所へ行き、あなたがたのために燔祭をささげよ。わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈るであろう。わたしは彼の祈を受けいれるによって、あなたがたの愚かを罰することをしない。あなたがたはわたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである」。
42:9 そこでテマンびとエリパズ、シュヒびとビルダデ、ナアマびとゾパルは行って、主が彼らに命じられたようにしたので、主はヨブの祈を受けいれられた。
42:10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄をもとにかえし、そして主はヨブのすべての財産を二倍に増された。
42:11 そこで彼のすべての兄弟、すべての姉妹、および彼の旧知の者どもことごとく彼のもとに来て、彼と共にその家で飲み食いし、かつ主が彼にくだされたすべての災について彼をいたわり、慰め、おのおの銀一ケシタと金の輪一つを彼に贈った。
42:12 主はヨブの終りを初めよりも多く恵まれた。彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭をもった。
42:13 また彼は男の子七人、女の子三人をもった。
42:14 彼はその第一の娘をエミマと名づけ、第二をケジアと名づけ、第三をケレン・ハップクと名づけた。
42:15 全国のうちでヨブの娘たちほど美しい女はなかった。父はその兄弟たちと同様に嗣業を彼らにも与えた。
42:16 この後、ヨブは百四十年生きながらえて、その子とその孫と四代までを見た。
42:17 ヨブは年老い、日満ちて死んだ。
又ヨブ 33:23 もしそこに彼のためにひとりの天使があり、千のうちのひとりであって、仲保となり、人にその正しい道を示すならば
何と途中にキリスト が現れます
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