映画サイレンス 沈黙 について
私はこの映画予告編しか見ていませんが(本篇は)見るつもりでいますが
予告編だけ見ただけでも 大悪党が うまく 作った映画だな と思いました
と言うと驚かれる方が多いと思われますが 早く 担がれていることに 気が付くべきだと思います。
みなさん 感情に 訴えてくるものは 注意が必要です
み言葉 聖書に照らし合わせて 映画の内容がどうであるか 考察してみましょう
懺悔を宣教師や神父にしていましたが 仲保者はキリストです。人に懺悔しても関係ありません
踏み絵は偶像です この様な 偶像を あがめよ とは 聖書に書いてないばかりか
十戒に 偶像崇拝をしては ならない と書いてあるのを カトリックは削除しています。
マリア崇拝は古代バビロン エジプト に伝わる 女神崇拝です
この様に聖書の教えにはまったく合致しない教理であり
全く偽物の残忍な宗教です
ルターの主教改革で力を失ったローマカトリックは宣教し世界に出て勢力を強めようとした そのため イエズス会ザビエルを 日本に派遣しました
イエズス会はルターなどがローマ教皇権の大嘘を暴いたためこれを隠し プロテスタント教徒を迫害するために作られた組織です(カトリックは古代の宗教を合併させた宗教でその一つがキリスト教と言うだけで巧妙に似せてはいますがキリストの教えとは関係の無い組織です)
一番恐ろしいのは 本物の踏み絵 キリストに忠実なものを迫害し殺す
が近い将来起こるかもしれないと言うことです。
今度はやらせるほうが 逆になるはずです。
来る将来宗教支配を企てているためイメージ作りを今のうちに しておきたい魂胆でしょう今の教皇はイエズス会です最後の引き金を引く役目をする 可能性があります
ヨーロッパではワルデンセスをはじめ1億を超える人が ローマカトリックが迫害し殺したと赤間氏は言っておられます。これはナチスや共産党どころではありません
歴史上最大のテロリスト集団です この様な事をしても批判されないのは キリストを表面上装っているからです
この様な組織ですから日本に何をしに来たかは想像するのは容易です。
信長は鉄砲や弾薬などの武器を好み取引相手としましたが 宣教師たちに私を
神と呼べと言ったそうですおそらく殺された原因はそこにあると私は推測します。
秀吉はヨーロッパの力を借り統治を安定させようとしましたが(スペイン艦隊を大阪湾に呼びたかった)
九州でキリスト教徒がイエズス会の手先になり寺を焼き払い
クリスチャン大名は 女奴隷火薬一樽 で 交換し 大変な事になっていたため
イエズス会カトリック教徒を国内に入れる事を危険と判断し イエズス会に先導されたキリスト教徒を迫害し始めました ご存じ 26聖人はほとんどが イエズス会とフランチェスコ会で先導したため処刑されたのです
これを知った徳川はプロテスタントオランダと手を組みカトリックの乱行から逃れました
天草の乱も 天草四郎に武器を供給し 反乱を起こさせ 植民地化しようと試みています
物は言いようで殉教者としてテロリストを美化しているわけで こういった 人をだます事をする 人たちを信用するのは 愚かです。
もっと悪いのは こういった殉教が起こる事はあらかた予想されていたのも関わらず あえて 信仰者を利用したことです これほどの 悪はなく獣悪の権化です
宗教改革のリーダーたちはこうコメントしています
1) マルチン・ルター
「パウロは第二テサロニケ2章3、4節に『まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する』と記しているが、その存在がここにいる。『不法の者、すなわち、滅びの子』とあるが、・・・彼は神の戒めを廃して、神の戒めの上に、自分が作った戒めを高めた。我らはここで教皇権が本当に反キリストの座に就いている事実を確信するのである」(LeRoy Froom,The Prophetic Faith of Our Fathers,Volume2,page28)
2) ジョン・カルヴァン
「私は、教皇がキリストの代理者になることを否認する。…彼は、偽キリストである。・・・私は彼が教会の頭になることを否定する」(John Calvin Tractc,Volume1,page219,220)
3) ジョン・ノックス
「何代にもわたって教会の頭として君臨してきた教皇が、まさしく、使徒パウロが言った反キリストであり滅びの子である」(The Zurich Letters,page199)
4) フリップ・メランヒトン
「ローマ教皇権が、巨大な組織と王国を持っている反キリストであることは、全然疑う余地のない明白な真理である。・・・第二テサロケ2章の2節で、パウロは「不法の者が、神と呼ばれたり、拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座って支配することになる」と、はっきり言ったのである。”(LeRoy Froom, The Prophetic Faith of Our Fathers, Volume 2 page 296-299)
「パウロは第二テサロニケ2章3、4節に『まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する』と記しているが、その存在がここにいる。『不法の者、すなわち、滅びの子』とあるが、・・・彼は神の戒めを廃して、神の戒めの上に、自分が作った戒めを高めた。我らはここで教皇権が本当に反キリストの座に就いている事実を確信するのである」(LeRoy Froom,The Prophetic Faith of Our Fathers,Volume2,page28)
2) ジョン・カルヴァン
「私は、教皇がキリストの代理者になることを否認する。…彼は、偽キリストである。・・・私は彼が教会の頭になることを否定する」(John Calvin Tractc,Volume1,page219,220)
3) ジョン・ノックス
「何代にもわたって教会の頭として君臨してきた教皇が、まさしく、使徒パウロが言った反キリストであり滅びの子である」(The Zurich Letters,page199)
4) フリップ・メランヒトン
「ローマ教皇権が、巨大な組織と王国を持っている反キリストであることは、全然疑う余地のない明白な真理である。・・・第二テサロケ2章の2節で、パウロは「不法の者が、神と呼ばれたり、拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座って支配することになる」と、はっきり言ったのである。”(LeRoy Froom, The Prophetic Faith of Our Fathers, Volume 2 page 296-299)
5) アイザック・ニュートン
「教皇権は、残りの十の角と異なる種類の王国であった。・・・ローマ教会は預言に現れた、先の者と異なる王である」(Sir Isaac Newton, Observations of the Prophecies, page 75)
6) ジョン・ウェスレー
「ローマ教皇権が、すなわち、不法の者であることを強調する」(John Wesley, Antichrist and His Ten Kingdoms, page 110)
7) サムエル・リー(17世紀の有名な聖職者)
「ローマ教皇権が、反キリストである事実は、英国のすべての主要教団の間で共通に受け入れられている教えである」(Samuel Lee, The Cutting Off of Antichrist, page1)
長老教会で採択されている、「ウエストミンスター信仰告白」(Westminster Confession of Faith)から引用した次の内容は実に重要な資料です。
「イエス・キリスト以外に異なる人が、教会の頭になることはできない。特にローマ教皇はどのような面からも、教会の頭にはなれない。教皇はまさに、不法の者であり、滅びの子として、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするもの、すなわち、神とイエス・キリストの上に自分を高めた反キリストなのである。”(The Westminster Confession of Faith, Section6, Chapter 24)
スイスにおいても、教皇権が、聖書に預言されている反キリストであると言及しました。『スマルカルド(Smalcald)条項』はルター派教会の声明書で、そこでは、教皇は自分を高めキリストに反抗する、まさしく反キリストであると言及しています。
1680年の『ニューイングランド信仰告白』では、教会の頭はイエス・キリストであって、滅亡の子であり、偽キリストであるローマ教皇ではないと言いました。
「教皇権を反キリストと同一視することは、宗教改革の中心をなす思想であった。この見解は、ルターや、他の宗教改革者たちが教皇権と対抗することが出来た大きな原動力となった」(Encyclopedia Britannica, 1962 edition, Volume 2, page 61)
このような信念に従って推し進められていった宗教改革の運動は、徐々に弱まっていきました。しかし、少なくとも19世紀末までは、ほとんどすべてのプロテスタントの教団では、依然として教皇権と反キリストを同一視していました。
ところが、今日、世界的に成し遂げられつつある教会(宗教)合同運動の結果、そこで醸成された雰囲気の中からは、教皇権と反キリストとを同一視する見解は、非常に起きにくくなりました。幾人もの福音主義のクリスチャンたちが、カトリック教会を反キリストとする立場は、現代社会において特に重視するような問題ではないと言って、このことを無視してきました。
「教皇権は、残りの十の角と異なる種類の王国であった。・・・ローマ教会は預言に現れた、先の者と異なる王である」(Sir Isaac Newton, Observations of the Prophecies, page 75)
6) ジョン・ウェスレー
「ローマ教皇権が、すなわち、不法の者であることを強調する」(John Wesley, Antichrist and His Ten Kingdoms, page 110)
7) サムエル・リー(17世紀の有名な聖職者)
「ローマ教皇権が、反キリストである事実は、英国のすべての主要教団の間で共通に受け入れられている教えである」(Samuel Lee, The Cutting Off of Antichrist, page1)
長老教会で採択されている、「ウエストミンスター信仰告白」(Westminster Confession of Faith)から引用した次の内容は実に重要な資料です。
「イエス・キリスト以外に異なる人が、教会の頭になることはできない。特にローマ教皇はどのような面からも、教会の頭にはなれない。教皇はまさに、不法の者であり、滅びの子として、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするもの、すなわち、神とイエス・キリストの上に自分を高めた反キリストなのである。”(The Westminster Confession of Faith, Section6, Chapter 24)
スイスにおいても、教皇権が、聖書に預言されている反キリストであると言及しました。『スマルカルド(Smalcald)条項』はルター派教会の声明書で、そこでは、教皇は自分を高めキリストに反抗する、まさしく反キリストであると言及しています。
1680年の『ニューイングランド信仰告白』では、教会の頭はイエス・キリストであって、滅亡の子であり、偽キリストであるローマ教皇ではないと言いました。
「教皇権を反キリストと同一視することは、宗教改革の中心をなす思想であった。この見解は、ルターや、他の宗教改革者たちが教皇権と対抗することが出来た大きな原動力となった」(Encyclopedia Britannica, 1962 edition, Volume 2, page 61)
このような信念に従って推し進められていった宗教改革の運動は、徐々に弱まっていきました。しかし、少なくとも19世紀末までは、ほとんどすべてのプロテスタントの教団では、依然として教皇権と反キリストを同一視していました。
ところが、今日、世界的に成し遂げられつつある教会(宗教)合同運動の結果、そこで醸成された雰囲気の中からは、教皇権と反キリストとを同一視する見解は、非常に起きにくくなりました。幾人もの福音主義のクリスチャンたちが、カトリック教会を反キリストとする立場は、現代社会において特に重視するような問題ではないと言って、このことを無視してきました。
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