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2017年2月28日火曜日
モーセの律法トラー ユダヤ律法タルムッド は 違う
モーセの律法トラーはキリストご自身がモーセに教えられたものです
ユダヤタルムッドは モーセの律法に付け加えたものや偏向したものです 一般に律法的という言葉はユダヤ律法に対しての批判なのですが これが 勘違いをして モーセの律法トラーを批判している人も多いです ここを勘違いすると ガラテヤコロサイ2章の解釈がまったく違ってきます
マタイ15:3 イエスは答えて言われた、「なぜ、あなたがたも自分たちの言伝えによって、神のいましめを破っているのか。
15:4 神は言われた、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず死に定められる』と。
15:5 それだのに、あなたがたは『だれでも父または母にむかって、あなたにさしあげるはずのこのものは供え物です、と言えば、
15:6 父または母を敬わなくてもよろしい』と言っている。こうしてあなたがたは自分たちの言伝えによって、神の言を無にしている。
15:7 偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている、
15:8 『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
15:9 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』」。
ヨハネ こののち、ユダヤ人の祭があったので、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。
5:3 その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大ぜいからだを横たえていた。〔彼らは水の動くのを待っていたのである。
5:4 それは、時々、主の御使がこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。〕
5:5 さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。
5:7 この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。
5:8 イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。
5:9 すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。その日は安息日であった。
2017年2月27日月曜日
金持ちとらくだと針
金持ちとらくだと針
この話は有名でクリスチャンでなくとも知っています。
マタイ19:20 この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。
19:21 イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
19:22 この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
19:23 それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
19:24 また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
お金を もっていては いけないのでしょうか?
カルト教団のように有り金をよこせ と言っているのでしょうか?
お金があり神が無くても生活でき何の煩いも無い人は 神は不必要です
人の力ではなく神の御力により 人は天国に入れるのです
富の力などとは関係がありません が 富は祝福と教えられています
キリストの実物教訓より
28 恵みの報い
彼の心は、救い主に引きつけられた。しかし、救い主の自己犠牲の原
則を、受けいれるまでにはなっていなかった。彼は、イエスを選ぶより
は、富の方を選んだ。彼は、永遠の命を欲したけれども、ただ1つの生
きる道である無我の愛を、魂の中に受けいれようとせずに、悲しみつつ、
キリストから去っていった。
青年が離れて行った時、イエスは弟子たちに、「富んでいる者が天国に
はいるのは、むずかしいものである」と言われた。このことばは弟子たちを驚
かした。富んでいる者は、天の特別の恵みを受けた者とみなすように、
彼らは教えられていた。彼ら自身も、メシヤの王国では、世的の権力と富を
受けることを期待していた。もしも、富んでいる者が神の国に入れない
とするならば、いったい他の人々には、どんな望みがあり得るであろうか。
「イエスは更に言われた、『子たちよ、神の国にはいるのはなんとむ
ずかしいことであろう。富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだ
が針の穴を通る方が、もっとやさしい』。すると彼らはますます驚い」た。
彼らは、この厳粛な警告の中に、自分たちも含まれていることを自覚し
た。救い主のこの言葉によって、彼ら自身の心の中に、権力と富に対す
るひそかな願いがあったことが明らかにされた。彼らは心配になって、
「それでは、だれが救われることができるのだろう」と叫んだ。
「イエスは彼らを見つめて言われた、『人にはできないが、神にはで
きる。神はなんでもできるからである』」。
富んでいる者は、富んでいるからといって、天国に入られるのではな
い。富は、光のうちにある聖徒たちの特権に、あずかる資格を与えない。
何の功績もなくして与えられるキリストの恵みによってのみ、人は、神
の都に入ることができるのである。
「あなたがたは、もはや自分自身のも
故に天国に入ることはむつかしいのです
この話は有名でクリスチャンでなくとも知っています。
マタイ19:20 この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。
19:21 イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
19:22 この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
19:23 それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
19:24 また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
お金を もっていては いけないのでしょうか?
カルト教団のように有り金をよこせ と言っているのでしょうか?
お金があり神が無くても生活でき何の煩いも無い人は 神は不必要です
人の力ではなく神の御力により 人は天国に入れるのです
富の力などとは関係がありません が 富は祝福と教えられています
キリストの実物教訓より
28 恵みの報い
彼の心は、救い主に引きつけられた。しかし、救い主の自己犠牲の原
則を、受けいれるまでにはなっていなかった。彼は、イエスを選ぶより
は、富の方を選んだ。彼は、永遠の命を欲したけれども、ただ1つの生
きる道である無我の愛を、魂の中に受けいれようとせずに、悲しみつつ、
キリストから去っていった。
青年が離れて行った時、イエスは弟子たちに、「富んでいる者が天国に
はいるのは、むずかしいものである」と言われた。このことばは弟子たちを驚
かした。富んでいる者は、天の特別の恵みを受けた者とみなすように、
彼らは教えられていた。彼ら自身も、メシヤの王国では、世的の権力と富を
受けることを期待していた。もしも、富んでいる者が神の国に入れない
とするならば、いったい他の人々には、どんな望みがあり得るであろうか。
「イエスは更に言われた、『子たちよ、神の国にはいるのはなんとむ
ずかしいことであろう。富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだ
が針の穴を通る方が、もっとやさしい』。すると彼らはますます驚い」た。
彼らは、この厳粛な警告の中に、自分たちも含まれていることを自覚し
た。救い主のこの言葉によって、彼ら自身の心の中に、権力と富に対す
るひそかな願いがあったことが明らかにされた。彼らは心配になって、
「それでは、だれが救われることができるのだろう」と叫んだ。
「イエスは彼らを見つめて言われた、『人にはできないが、神にはで
きる。神はなんでもできるからである』」。
富んでいる者は、富んでいるからといって、天国に入られるのではな
い。富は、光のうちにある聖徒たちの特権に、あずかる資格を与えない。
何の功績もなくして与えられるキリストの恵みによってのみ、人は、神
の都に入ることができるのである。
「あなたがたは、もはや自分自身のも
故に天国に入ることはむつかしいのです
聖霊が付いているから 大丈夫 は キケン
~が付いてるから大丈夫は状況によっては 守護霊様が付いてるかわ大丈夫とほとんど変わりなくなってしまいます。十人のおとめのように 思慮深さがなければ オカルト となんら変わりがなくなります。 聖霊が付いているから大丈夫と言いながら自分は無責任でいたい訳ですから
もい一つ言えば 洗礼を受けたのち 占いなどに手を染めると悔い改めてもかなりしつこい です 何年たっても 気を付けなければ 危険だと 本人も周りの人も気を付けていなければなりません
思慮の浅い女たちによって代表されている種類の人々は、偽善者では
ない。彼らは、真理に関心をもち、真理を擁護し、真理を信じる人々に
引き付けられてはいるが、聖霊の働きに自分自身をゆだねていないので
ある。彼らは、岩なるキリスト・イエスの上に落ちて、彼らの古い性質
がくだかれていない。この種の人々はまた、石地の聴衆とも言われてい
る。彼らは喜んでみ言葉を受けいれるが、その原則をかみしめて自分の
ものとはしないのである。その感化が永続しない。聖霊は、人が心の中
に新しい性質の植えつけられるのを望んで、同意するのに応じて、人の
心にお働きになるのである。ところが、思慮の浅い女によって代表され
ている人々は、表面的の働きに満足している。彼らは、神を知らない。
彼らは、神の品性を学んでいない。神と交わっていない。であるから、
彼らはいかに神に信頼し、ながめ、生きるべきかを知らないのである。
彼らの神への奉仕は、形式化してしまう。「彼らは民が来るようにあなた
の所に来、わたしの民のようにあなたの前に座して、あなたの言葉を聞
く。しかし彼らはそれを行わない。彼らは口先では多くの愛を現すが、
その心は利におもむいている」(エゼキエル 33:31 )。
キリストの実物教訓より
2017年2月25日土曜日
砕 けた心をもって、神に来るものは、だれ1人しりぞけられることはない。
「また、祈のとき、信じて
求めるものはみな与えられるであろう」(マタイ 23: 2 2 )。
悩み苦しみに会うものはすべて、神を呼び求めるとよい。冷酷な人々
に頼ることをしないで、創造主に、あなたの求めを申し上げなさい。砕
けた心をもって、神に来るものは、だれ1人しりぞけられることはない。
心からの祈りは、決して消えてしまうものではない。天の聖歌隊の賛美
を受けておられる神は、弱々しい人間の叫びをも聞かれる。わたしたち
が、部屋の中で心の願いを申し上げたり、あるいは、道を歩きながら祈
ったりすると、その言葉は宇宙の王のみ座にまで達する。それはだれの
耳にも聞こえないであろうが、消え去ってしまったり、忙しい仕事に取
りまぎれて、なくなったりしない。何も、人の心の願いを消し去ること
はできない。祈りは街頭の騒音や群衆の混雑をこえて、天の宮廷へと上
っていく。わたしたちが語りかけているのは、神である。そして、神は、
わたしたちの祈りを聞かれるのである。
エレンジーホワイト
求めるものはみな与えられるであろう」(マタイ 23: 2 2 )。
悩み苦しみに会うものはすべて、神を呼び求めるとよい。冷酷な人々
に頼ることをしないで、創造主に、あなたの求めを申し上げなさい。砕
けた心をもって、神に来るものは、だれ1人しりぞけられることはない。
心からの祈りは、決して消えてしまうものではない。天の聖歌隊の賛美
を受けておられる神は、弱々しい人間の叫びをも聞かれる。わたしたち
が、部屋の中で心の願いを申し上げたり、あるいは、道を歩きながら祈
ったりすると、その言葉は宇宙の王のみ座にまで達する。それはだれの
耳にも聞こえないであろうが、消え去ってしまったり、忙しい仕事に取
りまぎれて、なくなったりしない。何も、人の心の願いを消し去ること
はできない。祈りは街頭の騒音や群衆の混雑をこえて、天の宮廷へと上
っていく。わたしたちが語りかけているのは、神である。そして、神は、
わたしたちの祈りを聞かれるのである。
エレンジーホワイト
2017年2月24日金曜日
異言と賜物 異言だけやってると頭がおかしくなります
異言は聖書的で何も悪いことではありません しかし1コリント14
には全体の一部となっています。しかしながら最近は異言を話せる人はしるしの異言しかできません 異言には何の問題はなくてもそれだけ取り出せば 害になることは 多くあります。
例えば 女性と楽しく話を する のは 健全です 何の問題もありません しかし ある部分だけ取り出し 他を省くと 罪になります 感性は本能と結びついているため 非常に 制御困難です。 麻薬なども植物に含まれているため全く自然ですが 精製する事により 精神に害を与えます おかしくなっても 聖書的だと言って言い訳ができます おかしくなった人は 沢山います
https://www.youtube.com/embed/1_lAK5Yvac4
https://www.youtube.com/embed/xR0-G7-TOl8
https://www.youtube.com/embed/7A6iCVxupTM
ttps://www.youtube.com/embed/gkG94UkOSBk
https://www.youtube.com/embed/4aix9SlcLrE
14:1 愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。
14:2 異言を語る者は、人にむかって語るのではなく、神にむかって語るのである。それはだれにもわからない。彼はただ、霊によって奥義を語っているだけである。
14:3 しかし預言をする者は、人に語ってその徳を高め、彼を励まし、慰めるのである。
14:4 異言を語る者は自分だけの徳を高めるが、預言をする者は教会の徳を高める。
14:5 わたしは実際、あなたがたがひとり残らず異言を語ることを望むが、特に預言をしてもらいたい。教会の徳を高めるように異言を解かない限り、異言を語る者よりも、預言をする者の方がまさっている。
14:6 だから、兄弟たちよ。たといわたしがあなたがたの所に行って異言を語るとしても、啓示か知識か預言か教かを語らなければ、あなたがたに、なんの役に立つだろうか。
14:7 また、笛や立琴のような楽器でも、もしその音に変化がなければ、何を吹いているのか、弾いているのか、どうして知ることができようか。
14:8 また、もしラッパがはっきりした音を出さないなら、だれが戦闘の準備をするだろうか。
14:9 それと同様に、もしあなたがたが異言ではっきりしない言葉を語れば、どうしてその語ることがわかるだろうか。それでは、空にむかって語っていることになる。
14:10 世には多種多様の言葉があるだろうが、意味のないものは一つもない。
14:11 もしその言葉の意味がわからないなら、語っている人にとっては、わたしは異国人であり、語っている人も、わたしにとっては異国人である。
14:12 だから、あなたがたも、霊の賜物を熱心に求めている以上は、教会の徳を高めるために、それを豊かにいただくように励むがよい。
14:13 このようなわけであるから、異言を語る者は、自分でそれを解くことができるように祈りなさい。
14:14 もしわたしが異言をもって祈るなら、わたしの霊は祈るが、知性は実を結ばないからである。
14:15 すると、どうしたらよいのか。わたしは霊で祈ると共に、知性でも祈ろう。霊でさんびを歌うと共に、知性でも歌おう。
14:16 そうでないと、もしあなたが霊で祝福の言葉を唱えても、初心者の席にいる者は、あなたの感謝に対して、どうしてアァメンと言えようか。あなたが何を言っているのか、彼には通じない。
14:17 感謝するのは結構だが、それで、ほかの人の徳を高めることにはならない。
14:18 わたしは、あなたがたのうちのだれよりも多く異言が語れることを、神に感謝する。
14:19 しかし教会では、一万の言葉を異言で語るよりも、ほかの人たちをも教えるために、むしろ五つの言葉を知性によって語る方が願わしい。
14:20 兄弟たちよ。物の考えかたでは、子供となってはいけない。悪事については幼な子となるのはよいが、考えかたでは、おとなとなりなさい。
14:21 律法にこう書いてある、「わたしは、異国の舌と異国のくちびるとで、この民に語るが、それでも、彼らはわたしに耳を傾けない、と主が仰せになる」。
14:22 このように、異言は信者のためではなく未信者のためのしるしであるが、預言は未信者のためではなく信者のためのしるしである。
14:23 もし全教会が一緒に集まって、全員が異言を語っているところに、初心者か不信者かがはいってきたら、彼らはあなたがたを気違いだと言うだろう。
14:24 しかし、全員が預言をしているところに、不信者か初心者がはいってきたら、彼の良心はみんなの者に責められ、みんなの者にさばかれ、
14:25 その心の秘密があばかれ、その結果、ひれ伏して神を拝み、「まことに、神があなたがたのうちにいます」と告白するに至るであろう。
14:26 すると、兄弟たちよ。どうしたらよいのか。あなたがたが一緒に集まる時、各自はさんびを歌い、教をなし、啓示を告げ、異言を語り、それを解くのであるが、すべては徳を高めるためにすべきである。
14:27 もし異言を語る者があれば、ふたりか、多くて三人の者が、順々に語り、そして、ひとりがそれを解くべきである。
14:28 もし解く者がいない時には、教会では黙っていて、自分に対しまた神に対して語っているべきである。
14:29 預言をする者の場合にも、ふたりか三人かが語り、ほかの者はそれを吟味すべきである。
14:30 しかし、席にいる他の者が啓示を受けた場合には、初めの者は黙るがよい。
14:31 あなたがたは、みんなが学びみんなが勧めを受けるために、ひとりずつ残らず預言をすることができるのだから。
14:32 かつ、預言者の霊は預言者に服従するものである。
14:33 神は無秩序の神ではなく、平和の神である。聖徒たちのすべての教会で行われているように、
14:34 婦人たちは教会では黙っていなければならない。彼らは語ることが許されていない。だから、律法も命じているように、服従すべきである。
14:35 もし何か学びたいことがあれば、家で自分の夫に尋ねるがよい。教会で語るのは、婦人にとっては恥ずべきことである。
14:36 それとも、神の言はあなたがたのところから出たのか。あるいは、あなたがただけにきたのか。
14:37 もしある人が、自分は預言者か霊の人であると思っているなら、わたしがあなたがたに書いていることは、主の命令だと認めるべきである。
14:38 もしそれを無視する者があれば、その人もまた無視される。
14:39 わたしの兄弟たちよ。このようなわけだから、預言することを熱心に求めなさい。また、異言を語ることを妨げてはならない。
14:40 しかし、すべてのことを適宜に、かつ秩序を正して行うがよい。
2017年2月23日木曜日
この世の最後に出てくる666の獣とは
みんなが 言っている この世の最後に出てくる666の獣とは
実を言うと 宗教改革 の時からわかっています
これを隠したいがためにイエズス会リベラなどがダニエル書70週の予言をひねり未来的解釈を無理やり作りこの世の終わりに独裁者が出ると いう説を広めたのが事実です
その集大成がレフトビハインドでsり 艱難前携挙説です これを指示しているのがフラー神学校 ピーターワグナー ジャックヘイフォード チョーヨンキ などの グループですから ひも付きであることは最初からわかっているのです。
そしてこの獣を拝ませるのはアメリカです
以下宗教改革のリーダーたちの発言
反キリストに対する宗教改革者たちの立場
1) マルチン・ルター
「パウロは第二テサロニケ2章3、4節に『まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する』と記しているが、その存在がここにいる。『不法の者、すなわち、滅びの子』とあるが、・・・彼は神の戒めを廃して、神の戒めの上に、自分が作った戒めを高めた。我らはここで教皇権が本当に反キリストの座に就いている事実を確信するのである」(LeRoy Froom,The Prophetic Faith of Our Fathers,Volume2,page28)
2) ジョン・カルヴァン
「私は、教皇がキリストの代理者になることを否認する。…彼は、偽キリストである。・・・私は彼が教会の頭になることを否定する」(John Calvin Tractc,Volume1,page219,220)
3) ジョン・ノックス
「何代にもわたって教会の頭として君臨してきた教皇が、まさしく、使徒パウロが言った反キリストであり滅びの子である」(The Zurich Letters,page199)
4) フリップ・メランヒトン
「ローマ教皇権が、巨大な組織と王国を持っている反キリストであることは、全然疑う余地のない明白な真理である。・・・第二テサロケ2章の2節で、パウロは「不法の者が、神と呼ばれたり、拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座って支配することになる」と、はっきり言ったのである。”(LeRoy Froom, The Prophetic Faith of Our Fathers, Volume 2 page 296-299)
5) アイザック・ニュートン
「教皇権は、残りの十の角と異なる種類の王国であった。・・・ローマ教会は預言に現れた、先の者と異なる王である」(Sir Isaac Newton, Observations of the Prophecies, page 75)
6) ジョン・ウェスレー
「ローマ教皇権が、すなわち、不法の者であることを強調する」(John Wesley, Antichrist and His Ten Kingdoms, page 110)
7) サムエル・リー(17世紀の有名な聖職者)
「ローマ教皇権が、反キリストである事実は、英国のすべての主要教団の間で共通に受け入れられている教えである」(Samuel Lee, The Cutting Off of Antichrist, page1)
長老教会で採択されている、「ウエストミンスター信仰告白」(Westminster Confession of Faith)から引用した次の内容は実に重要な資料です。
「イエス・キリスト以外に異なる人が、教会の頭になることはできない。特にローマ教皇はどのような面からも、教会の頭にはなれない。教皇はまさに、不法の者であり、滅びの子として、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするもの、すなわち、神とイエス・キリストの上に自分を高めた反キリストなのである。”(The Westminster Confession of Faith, Section6, Chapter 24)
スイスにおいても、教皇権が、聖書に預言されている反キリストであると言及しました。『スマルカルド(Smalcald)条項』はルター派教会の声明書で、そこでは、教皇は自分を高めキリストに反抗する、まさしく反キリストであると言及しています。
1680年の『ニューイングランド信仰告白』では、教会の頭はイエス・キリストであって、滅亡の子であり、偽キリストであるローマ教皇ではないと言いました。
「教皇権を反キリストと同一視することは、宗教改革の中心をなす思想であった。この見解は、ルターや、他の宗教改革者たちが教皇権と対抗することが出来た大きな原動力となった」
- ローマ法王のラテン語のタイトル Vicarivs Filii Dei(神の子の代理人)からローマ数字で読める文字を抜き出して合計すると666になります
聖者らは彼の手に渡され 一時期、二時期、半時期がたつ」(25節下句)。
引用http://d.hatena.ne.jp/Dugon+Okinawa/20150610/1433874674
オストロゴスが538年に滅ぼされましたが、その年から1260年を数えて、1798年に至る期間となります。
一時期=ひと時=1年=360日
二時期=ふた時=2年=720日
半時期=半時=半年=180日
合計:三時期半=さん時半=3年半=1260日
預言における1日は1年と計算します。民数記14章34節(237頁)、エゼキエル4章6節(旧約1300頁)。
結論は預言の年数は、12600日は1260年になります。
そして、538年から1260年は1798年に至ります。その期間、聖徒は小さな角の迫害に会います。
実を言うと 宗教改革 の時からわかっています
これを隠したいがためにイエズス会リベラなどがダニエル書70週の予言をひねり未来的解釈を無理やり作りこの世の終わりに独裁者が出ると いう説を広めたのが事実です
その集大成がレフトビハインドでsり 艱難前携挙説です これを指示しているのがフラー神学校 ピーターワグナー ジャックヘイフォード チョーヨンキ などの グループですから ひも付きであることは最初からわかっているのです。
そしてこの獣を拝ませるのはアメリカです
以下宗教改革のリーダーたちの発言
反キリストに対する宗教改革者たちの立場
1) マルチン・ルター
「パウロは第二テサロニケ2章3、4節に『まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する』と記しているが、その存在がここにいる。『不法の者、すなわち、滅びの子』とあるが、・・・彼は神の戒めを廃して、神の戒めの上に、自分が作った戒めを高めた。我らはここで教皇権が本当に反キリストの座に就いている事実を確信するのである」(LeRoy Froom,The Prophetic Faith of Our Fathers,Volume2,page28)
2) ジョン・カルヴァン
「私は、教皇がキリストの代理者になることを否認する。…彼は、偽キリストである。・・・私は彼が教会の頭になることを否定する」(John Calvin Tractc,Volume1,page219,220)
3) ジョン・ノックス
「何代にもわたって教会の頭として君臨してきた教皇が、まさしく、使徒パウロが言った反キリストであり滅びの子である」(The Zurich Letters,page199)
4) フリップ・メランヒトン
「ローマ教皇権が、巨大な組織と王国を持っている反キリストであることは、全然疑う余地のない明白な真理である。・・・第二テサロケ2章の2節で、パウロは「不法の者が、神と呼ばれたり、拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座って支配することになる」と、はっきり言ったのである。”(LeRoy Froom, The Prophetic Faith of Our Fathers, Volume 2 page 296-299)
5) アイザック・ニュートン
「教皇権は、残りの十の角と異なる種類の王国であった。・・・ローマ教会は預言に現れた、先の者と異なる王である」(Sir Isaac Newton, Observations of the Prophecies, page 75)
6) ジョン・ウェスレー
「ローマ教皇権が、すなわち、不法の者であることを強調する」(John Wesley, Antichrist and His Ten Kingdoms, page 110)
7) サムエル・リー(17世紀の有名な聖職者)
「ローマ教皇権が、反キリストである事実は、英国のすべての主要教団の間で共通に受け入れられている教えである」(Samuel Lee, The Cutting Off of Antichrist, page1)
長老教会で採択されている、「ウエストミンスター信仰告白」(Westminster Confession of Faith)から引用した次の内容は実に重要な資料です。
「イエス・キリスト以外に異なる人が、教会の頭になることはできない。特にローマ教皇はどのような面からも、教会の頭にはなれない。教皇はまさに、不法の者であり、滅びの子として、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするもの、すなわち、神とイエス・キリストの上に自分を高めた反キリストなのである。”(The Westminster Confession of Faith, Section6, Chapter 24)
スイスにおいても、教皇権が、聖書に預言されている反キリストであると言及しました。『スマルカルド(Smalcald)条項』はルター派教会の声明書で、そこでは、教皇は自分を高めキリストに反抗する、まさしく反キリストであると言及しています。
1680年の『ニューイングランド信仰告白』では、教会の頭はイエス・キリストであって、滅亡の子であり、偽キリストであるローマ教皇ではないと言いました。
「教皇権を反キリストと同一視することは、宗教改革の中心をなす思想であった。この見解は、ルターや、他の宗教改革者たちが教皇権と対抗することが出来た大きな原動力となった」
- ローマ法王のラテン語のタイトル Vicarivs Filii Dei(神の子の代理人)からローマ数字で読める文字を抜き出して合計すると666になります
聖者らは彼の手に渡され 一時期、二時期、半時期がたつ」(25節下句)。
引用http://d.hatena.ne.jp/Dugon+Okinawa/20150610/1433874674
オストロゴスが538年に滅ぼされましたが、その年から1260年を数えて、1798年に至る期間となります。
一時期=ひと時=1年=360日
二時期=ふた時=2年=720日
半時期=半時=半年=180日
合計:三時期半=さん時半=3年半=1260日
預言における1日は1年と計算します。民数記14章34節(237頁)、エゼキエル4章6節(旧約1300頁)。
結論は預言の年数は、12600日は1260年になります。
そして、538年から1260年は1798年に至ります。その期間、聖徒は小さな角の迫害に会います。
みなさん 私を キリスト教の 異端者として 是非 告発 してみてください
みなさん 安息日を守る 私を キリスト教の 異端者として 告発 してみてください
十戒の安息日だけが変更されたのは何故ですか
主が唯一の神であること
偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
神の名をみだりに唱えてはならないこと
安息日を守ること
父母を敬うこと
殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
姦淫をしてはいけないこと
盗んではいけないこと
偽証してはいけないこと
隣人の家をむさぼってはいけないこと
4条の安息日は金曜夕暮れから土曜夕暮れまでですが いつだれが日曜日に変更しましたか?
安息日を守っていた人 パウロやペテロトその道の者 は 異端者ですか?
終わりの時にも安息日はありますが何故ですか?
マタイ 24:20 あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。
これはエルサレムの陥落の預言でもありますが 終わりの時の預言でもあります。
これは学者でも教派でもほぼ一致しています
一見反対に見えるように書いてあるところがありますが他の箇所では肯定的に書いてあります
コロサイの2章
ガラテヤ(ガラテヤは律法に対して一見否定的であります)
他の部分は肯定的ですが何故そこだけ 否定的に書いてあるのかはっきり根拠を説明してください
ダニエル7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。
これは誰が変えましたか歴史から引用してみてください否定してみてください↓
安息日は、聖書によると土曜日であった。しかし、AD321年3月7日 ローマ帝国のコンステンティヌス1世が日曜休業令を発布し、安息日を取消し、日曜日を礼拝日とした。[1] キリスト教会では当初は安息日(土曜日)に集まって礼拝を行っていたが、のちにキリストの復活を記念して、復活の日である日曜日を主日と呼び、礼拝を行うようになった。ローマの神や土地の神との結びつき(印欧化・混交)、ユダヤ教からの乖離政策であるといわれる。さらに西方教会では主日を安息日と同一視するようになった。[要出典]。[独自研究?]
ヘンリー・シーセン著『組織神学』[2]p397では『宗教改革者のジョン・ノックス、マルティン・ルター、ジャン・カルヴァンらは、主日は旧約聖書の安息日と、同一視されてはならない、と言った。』と指摘している
過ぎ越しと十字架
過ぎ越しの日に殺されるのは メシア の証明ですが キリスト教はほとんどが金曜に殺されたと言っています。この様に 十字架の贖いを過ぎ越しと切り離すことによって
贖いを無効にしています。 もし僕が間違っていたら日にちがそれぞれ違う理由をぜひ教えてください
ユダヤタルムッドがモーセの律法とどうして 混ぜられたのか?それにはちょっとしたダマシが入っています 実を言うと キリストの処刑は モーセの律法の成就(贖いレビ記)なのです が これがばれると 救世主の証明になってしまうので 巧妙に 聖書の翻訳がいじられています しかし ヨハネの福音書だけが いじられていません
ネタバラシ をすると キリスト教の人たちは 金曜日 に殺された と言います。
過ぎ越しの日に殺されたとは言いません 過ぎ越しの日に殺されたと書いてあるのはヨハ
ネだけです 過ぎ越しの日に殺されるのは メシア の証明ですが 金曜日に殺されたで
は贖いの意味はありません 日にち計算が間違っているだけならまだしも です
安息日の前と書かれているのは過ぎ越(処刑の日)
しの次の日除酵祭の最初の日が大いなる安息日とされているからです
それだけ メシアを隠したいという意図が入れられている訳です
マタイ マルコ ルカ では 金曜日に変え日にちを合わせるために 実際のありえない除酵祭の最初の日に過ぎ越しの食事の準備をしたと書き換えています除酵祭は過ぎ越しの次の日になるので過ぎ越しの日に処刑されたということにはなりません
しかしヨハネの福音書だけが過ぎ越しの日に殺されたと言っています
ピラトのシーンで過ぎ越しの日に 殺されていることが解ります。
ヨハネ18:39 過越の時には、わたしがあなたがたのために、ひとりの人を許してやるのが、あなたがたのしきたりになっている。ついては、あなたがたは、このユダヤ人の王を許してもらいたいのか」。
18:40 すると彼らは、また叫んで「その人ではなく、バラバを」と言った。このバラバは強盗であった。
ところがマタイ マルコ ルカ では 過ぎ越しの食事(最後の晩餐) の 準備を 除酵祭の最初の日と書かれています
26:17 さて、除酵祭の第一日に、弟子たちはイエスのもとにきて言った、「過越の食事をなさるために、わたしたちはどこに用意をしたらよいでしょうか」。
除酵祭の最初の日は 過ぎ越しの次の日なので 殺された 次の日の昼間に 食事の用意に出かけたことになりますので全く矛盾します 又除酵祭の最初の日は大いなる安息日と言われ外出できませんのでここも明らかに外出することは間違いであると言えます。
キッチリシュミレーションすると
ヨハネ
火曜日の昼 過ぎ越しの食事(最後の晩餐の用意)
火曜日の夜
ここからが過ぎ越し 過ぎ越しの食事 ゲッセマネ
ペレロを起こされたのは過ぎ越しの日は寝てはいけないことになっているので合致)
水曜日の 昼間 .
ヘロデ ピラト バラバ が許され 処刑
水曜日の夜
除酵祭の最初の日 (最初の日と7日めは大いなる安息日)
3日 3晩 で 土曜の夜 日没後 に 復活
聖書の記述 マタイ マルコ ルカ
では何度も書きますが 除酵祭の最初の日は過ぎ越しの次の日になります 殺されたのは過ぎ越しの日ではなく 金曜日の昼間と言うことになります これでは 律法の成就にはなりませんし
ヨハネの記述とは一致しません
木曜日の昼 除酵祭の最初の日 に 過ぎ越しの食事 の用意
木曜日の夜 過ぎ越しの食事 ゲッセマネ
金曜日の昼間 ヘロデ ピラト 処刑
金曜日の日没 安息日
日曜の朝復活 となりますが 3日3晩ヨナの印にはならず
ヨハネのほうがキッチリ説明が付き辻褄が合います
では何故マタイ マルコ ルカは 変な事に なっているのでしょうか
ユダヤにすれば過ぎ越しの日に殺されるとメシアの証になってしまいます
ユダヤとしては絶対メシアと認めたくないわけですから ここは意図的に日にちをずらし 金曜日の昼間と変えるために 変更していると思います
金曜日に殺されたイエスでは ユダヤ人にすれば 救世主と認めなくて済みます
つまり メシアを本物であることを隠す意図があると思います。それに当時のキリスト教が加担していると言えます
書き換えらえたのは ヘブライ語からギリシャ語に帰られた時もしくはマソラの段階と思われます。
では この事でどのような 影響を与えているかと言うと
律法(トラー)と福音が切り離されて考えられていることです
本来福音は律法の成就と天の法則(御心) であるはずですが
律法的 福音的 と分けられて考えられています。
その他多くありますが 律法 トラー との関わりがかなり変わったものになるのではと思います。 誤解なきよう書いておきますが 律法は今は信仰による で 戒律によるものではありません
2017年2月22日水曜日
献金とは
十一献金はレビにするものです 今は キリストが天の幕屋で 祭司をされています
教会は仲介をしているだけです 別の面では実際にこの世で教会を運営するには金銭は必要です 献金は金儲けだ と言い 一銭も払わないなら 何もなくなってしまうのも事実です
御霊の導きとはどうすれば受けられるか
御霊に導かれ示される「ということは
前提としては 自分を 主の御手にゆだね ると言う意味でなければ
容易にサタンに利用され心霊術や神秘主義に落ちってしまいます。
経験者など適切なアドバイスができる人がいなければ 気が付かないものです。
ほとんどの聖霊運動は不思議が売り物で心霊術であります
大教会の牧師チョーヨンギのメッセージは 信念の魔術 オカルト からの全くのパクリです
このように 完全に 異教 を教えているのもかかわらず 富と地位を失いたくないため
似非牧師たちは容認しています。
キリストの前に砕けたものでなければ 御霊の導きなど受けられるものではありません。
御霊の満たしとか 充満 とか 言われますが ほとんどが 自分の為ではなく 与える
ものが多くそう言った意味では自分が満たされるという感覚はあまりなく
お役に立って 光栄だという 喜びのほうが 多いのが 本当の満たしであります。
一番必要なのは 聖書を何回も読むことです 示しは み言葉を 通して与えられます。
読んでいるとその言葉が突然示されよくわかります
自分の思いなのか示しなのか 確認し祈りますます
その他に 他人が 突然 自分の 思っている答えを言ったりします
がこのケースではみ言葉を知っている人に限ります
悪霊でも同じような不思議を起こし惑わしてきますから 何でも受け入れては絶対ダメです
出来事を通して起こる事 これは よくあることです
光景を見せられることもあります
幻とか夢もありますが しょっちゅうはありません
特に視覚に入るものは吟味が必要です
何かを考えていると 突然誰かが電話をしてきたリ
祈りの答えが来たりします
これもほぼ間違いないと言え注意が必要です
こういう時には間違っていたら教えてくださいと祈る必要があります
違うんではないかと 思えば 一度 立ち止まり 考える 必要があります。
しかし 重要な時は 強く来ますので わかります。
祈り方があいまいだと 別の所から返事がきます
聖霊様と祈るところは聖書では一か所もありません これは横並びに3人神様が並んでいる異教の三位一体の考え方です 信仰的には一体同じなのです
聖書は 一体 同じ 唯一 と言っています ので 一つの所に向けて祈る必要があります
主の祈りを見ればどこに祈るかはっきり書いてあります
キリストイエス (実名はヤシュア ヤホッシュア ヤウエの救い)をとおして父ヤーウエー に 祈らなければなりません 祈りの先が ぴったりとしていなければ ノイズが多く 違うところから返事が返ってきて 惑わされます。
祈りの行先をキッチリ指定する必要があります
以下私見ですが 一応知っておいたほうがいいですので書いておきます
ヤホッシュア ヤシュア は ヤーウエ救いと言う名前です キリストが言われたように 父の名前が入っています
ギリシャ語になり イアシュア イエッシュア になり 英語になり ジーザス
です 日本語で例えると 山田さんが今田さんになり ついには 大山田さんとか どんどん 元の名前から離れていきます
ヤヘーワヘー がヤウエ ヤハウエ エホバ と どんどん 元の名前から 離れていきます
テトマグラトン ハッシェム とか 代名詞だけを使うのはやめたほうがよさそうです
又神さま と祈るのも 代名詞だけであて先不明です
アドナイ は 荒野で金の子牛に対して使われた説があり 正確には アドン だそうですが これも代名詞なのであまり使いません
違うんではないかと 思えば 一度 立ち止まり 考える 必要があります。
前提としては 自分を 主の御手にゆだね ると言う意味でなければ
容易にサタンに利用され心霊術や神秘主義に落ちってしまいます。
経験者など適切なアドバイスができる人がいなければ 気が付かないものです。
ほとんどの聖霊運動は不思議が売り物で心霊術であります
大教会の牧師チョーヨンギのメッセージは 信念の魔術 オカルト からの全くのパクリです
このように 完全に 異教 を教えているのもかかわらず 富と地位を失いたくないため
似非牧師たちは容認しています。
キリストの前に砕けたものでなければ 御霊の導きなど受けられるものではありません。
御霊の満たしとか 充満 とか 言われますが ほとんどが 自分の為ではなく 与える
ものが多くそう言った意味では自分が満たされるという感覚はあまりなく
お役に立って 光栄だという 喜びのほうが 多いのが 本当の満たしであります。
一番必要なのは 聖書を何回も読むことです 示しは み言葉を 通して与えられます。
読んでいるとその言葉が突然示されよくわかります
自分の思いなのか示しなのか 確認し祈りますます
その他に 他人が 突然 自分の 思っている答えを言ったりします
がこのケースではみ言葉を知っている人に限ります
悪霊でも同じような不思議を起こし惑わしてきますから 何でも受け入れては絶対ダメです
出来事を通して起こる事 これは よくあることです
光景を見せられることもあります
幻とか夢もありますが しょっちゅうはありません
特に視覚に入るものは吟味が必要です
何かを考えていると 突然誰かが電話をしてきたリ
祈りの答えが来たりします
これもほぼ間違いないと言え注意が必要です
こういう時には間違っていたら教えてくださいと祈る必要があります
違うんではないかと 思えば 一度 立ち止まり 考える 必要があります。
しかし 重要な時は 強く来ますので わかります。
祈り方があいまいだと 別の所から返事がきます
聖霊様と祈るところは聖書では一か所もありません これは横並びに3人神様が並んでいる異教の三位一体の考え方です 信仰的には一体同じなのです
聖書は 一体 同じ 唯一 と言っています ので 一つの所に向けて祈る必要があります
主の祈りを見ればどこに祈るかはっきり書いてあります
キリストイエス (実名はヤシュア ヤホッシュア ヤウエの救い)をとおして父ヤーウエー に 祈らなければなりません 祈りの先が ぴったりとしていなければ ノイズが多く 違うところから返事が返ってきて 惑わされます。
以下私見ですが 一応知っておいたほうがいいですので書いておきます
ヤホッシュア ヤシュア は ヤーウエ救いと言う名前です キリストが言われたように 父の名前が入っています
ギリシャ語になり イアシュア イエッシュア になり 英語になり ジーザス
です 日本語で例えると 山田さんが今田さんになり ついには 大山田さんとか どんどん 元の名前から離れていきます
ヤヘーワヘー がヤウエ ヤハウエ エホバ と どんどん 元の名前から 離れていきます
テトマグラトン ハッシェム とか 代名詞だけを使うのはやめたほうがよさそうです
又神さま と祈るのも 代名詞だけであて先不明です
アドナイ は 荒野で金の子牛に対して使われた説があり 正確には アドン だそうですが これも代名詞なのであまり使いません
違うんではないかと 思えば 一度 立ち止まり 考える 必要があります。
2017年2月21日火曜日
信仰の人とは
幸せな生活は主からのものと思いがちですが
最初は主からの物でも 人の手が加えられだんだんと 装飾がなされ
遂にはキリストの品性から離れようとしてしまいます。
自分では御心だと理由をつけて納得しようとしてしまう傾向になります。
その時はほとんど 人の考えで動いているのであり 御手から離れてしまっているので
自分の力が不足すれば倒れることになります。
ほとんどの人はこの様な経験をします それは 人生の変わり目とか言われます
がこの時ほど無力な時はありません ここで 謙虚に 主の御手 に ゆだねるか どう
かで 人の人生が大きく変わるようになります
そこではごまかしがなく 狭き門となりますが それに 入ったものは 祝福を受け
命を受け継ぎます
神の門に入れないものは やはり 人の手を 借り 人の手に落ち イスラエルが砂漠をさまよったように 迷います または 永遠に 失います
人は何も持っていない時が一番幸せなのかもしれないのです
又そういう時ほど主の訓練を受ける絶好のチャンスです。
主が与えられるという 期待がある時 一番幸福ではないか と思います。
山上の垂訓がパラドックスなのもこういった意味なのではないかと思います。
持つものが邪魔になってしまう時があります ラクダが針の穴を通るほどむつかしいとう意味が解ります
信仰の人となるにはそのような道を歩まなければなりません。
例えそこで倒れたとて 本望ではないでしょうか。
5:3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
5:4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
5:5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
5:6 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
5:7 あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
5:8 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
5:10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
5:12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
砂の上ではなく 岩の上に 家を建ててください
最初は主からの物でも 人の手が加えられだんだんと 装飾がなされ
遂にはキリストの品性から離れようとしてしまいます。
自分では御心だと理由をつけて納得しようとしてしまう傾向になります。
その時はほとんど 人の考えで動いているのであり 御手から離れてしまっているので
自分の力が不足すれば倒れることになります。
ほとんどの人はこの様な経験をします それは 人生の変わり目とか言われます
がこの時ほど無力な時はありません ここで 謙虚に 主の御手 に ゆだねるか どう
かで 人の人生が大きく変わるようになります
そこではごまかしがなく 狭き門となりますが それに 入ったものは 祝福を受け
命を受け継ぎます
神の門に入れないものは やはり 人の手を 借り 人の手に落ち イスラエルが砂漠をさまよったように 迷います または 永遠に 失います
人は何も持っていない時が一番幸せなのかもしれないのです
又そういう時ほど主の訓練を受ける絶好のチャンスです。
主が与えられるという 期待がある時 一番幸福ではないか と思います。
山上の垂訓がパラドックスなのもこういった意味なのではないかと思います。
持つものが邪魔になってしまう時があります ラクダが針の穴を通るほどむつかしいとう意味が解ります
信仰の人となるにはそのような道を歩まなければなりません。
例えそこで倒れたとて 本望ではないでしょうか。
5:3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
5:4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
5:5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
5:6 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
5:7 あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
5:8 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
5:10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
5:12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
砂の上ではなく 岩の上に 家を建ててください
十戒 モーセの律法 トラー は有効か 解かれているか?
戒律としての安息日ではなく安息日を守る信仰を持ちましょうこれを気に止めた方は幸いです
主が唯一の神であること
偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
神の名をみだりに唱えてはならないこと
安息日を守ること
父母を敬うこと
殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
姦淫をしてはいけないこと
盗んではいけないこと
偽証してはいけないこと
隣人の家をむさぼってはいけないこと
これらの反対を言うと有効かどうか簡単にわかります(関西弁)
不遜で申し訳ありません
神さんはギョウさんおるで~いっぱい祭ったほうがごりやくありまっせ
いやなことあったら すぐ神の名を唱え叫びましょう ええ ストレス発散になりまっせ
自由やからいつでもどこでも好きな所行きゃヨロシイがな
オヤジやオカンは憎たらしい事言うたら家からほりだしたらよろしいがな
人殺しは大いに結構人口増えすぎてますから戦争や殺人は大いに歓迎です
どこの誰とでもセックス可能です子だくさんは祝福されまっせ
人の物は自分の物 どんどん 盗みましょう ブタバコが怖くて何ができますか?
嘘なんかつかな 世の中まともに 渡っていけませんがな 当たり前どす
うらやましいと思ったらねたんでへこませてやりましょう 人のせいにすりゃ スッキリしますわ
解かれたということはこういうことです
日曜礼拝はニケア会議で決められた 太陽礼拝の日です
又安息日は変更されたと言いますが
終わりの時の予言にも安息日はあります
24:20 あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。
24:21 その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
24:22 もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。
マタイ24:23 そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。
24:24 にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。
ニケア会議によって安息日は変更されました 日曜礼拝は太陽神の礼拝の日です太陽礼拝はもっとも忌み嫌われる偶像礼拝なのです
エゼキエル8:16 彼はまたわたしを連れて、主の家の内庭にはいった。見よ、主の宮の入口に、廊と祭壇との間に二十五人ばかりの人が、主の宮にその背中を向け、顔を東に向け、東に向かって太陽を拝んでいた。
8:17 時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、あなたはこれを見たか。ユダの家にとって、彼らがここでしているこれらの憎むべきわざは軽いことであるか。彼らはこの地を暴虐で満たし、さらにわたしを怒らせる。見よ、彼らはその鼻に木の枝を置く。
以下引用 各時代の大争闘
誤った律法観
多くの宗教教師たちは、キリストはご自分の死によって律法を廃され
た、それゆえに人はその要求から解放されている、と主張する。なかに
は、律法を重苦しいくびきであると言い、律法の束縛とは対照的に、福
音の下において自由が享受
きょうじゅ
できると主張する人々もいる。
しかし、預言者や使徒たちは、神の聖なる律法をそのようには見なさ
なかった。「わたしはあなたのさとしを求めたので、自由に歩むことがで
きます」(詩篇 119:45)。キリストの死後に書いた使徒ヤコブは、
十戒を「尊い律法」「完全な自由の律法」と言っている(ヤコブ 2:8、
1:25)。そして、十字架から、半世紀の後に、ヨハネは、「いのちの
木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、神
の律法を行う者」はさいわいであると言明している(黙示録 22:14・
トランプの政策 経済について 今後は?ヨセフの飢饉
長期的にはインフレ物価高を招くものと思われます。原材料などが高騰し小麦一〼イチデナリの時代が来るかもしれません。
黙示録6:8 そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた
又天候などに異変があればヨセフの時のようにエジプトでの7年の飢饉のようなことが起こりかねません
創世記41:54 ヨセフの言ったように七年のききんが始まった。そのききんはすべての国にあったが、エジプト全国には食物があった。
41:55 やがてエジプト全国が飢えた時、民はパロに食物を叫び求めた。そこでパロはすべてのエジプトびとに言った、「ヨセフのもとに行き、彼の言うようにせよ」。
41:56 ききんが地の全面にあったので、ヨセフはすべての穀倉を開いて、エジプトびとに売った。ききんはますますエジプトの国に激しくなった。
41:57 ききんが全地に激しくなったので、諸国の人々がエジプトのヨセフのもとに穀物を買うためにきた。
エレミヤは、神が彼らすべてのものをバビロンの王ネブカデネザルの
手に与え、彼らは「彼の地に時がくるまで、万国民は彼とその子とその
孫に仕える」と彼らの王に告げるように使者たちに指示を与えるように
命じられた(同 27:7 )。
使者たちはさらに、もし彼らの王たちがバビロンの王に仕えることを
拒むならば、彼らは「つるぎと、ききんと、疫病をもって」罰せられて、
ついに全滅するに至るということを、王たちに告げるように指示された
のである。特に彼らは、別のことを勧める偽りの預言者の教えを捨てな
ければならなかった。「それで、あなたがたの預言者、占い師、夢みる者、
法術師、魔法使が、『あなたがたはバビロンの王に仕えることはない』と
言っても、聞いてはならない。彼らはあなたがたに偽りを預言して、あ
なたがたを自分の国から遠く離れさせ、わたしに、あなたがたを追い出
してあなたがたを滅ぼさせるのである。しかしバビロンの王のくびきを
首に負って、彼に仕える国民を、わたしはその故国に残らせ、それを耕
して、そこに住まわせると主は言われる
しかしながら フリン大統領補佐官が辞任などにより 独断と偏見が通らなくなってきたというか 何処かから圧力がかかっているのでは無いかといううわさも出てきている。
辞任がこれからも続くのであれば政策の変更の可能性がある。いずれにせよバブルの様相が強く先行きは専門家であっても不明である。 マークフーバー 長期金利と短期金利差
ドル高とインフレ米国金利
ドルが高いと当然原油金鉱工業原料などは安くなります ドルが安いと反対に原料は高くなります。現在トランプの公共事業多発 の 予想で 米国債は売られつつあり 金利は上昇しています。そのため 一時的(おそらく)ドルが買われていますが 原油高による
消費者物価指数cpiがアメリカはすぐに上昇するため(日本は1年ぐらいずれる)ため 米国は金利を上げても物価上昇に追いつかず インフレに見舞われる可能性がある。米国金利高=ドル高という表面的な流れではなく 実質金利という面では マイナス金利に陥りその時は強力なインフレが世界中に影響すると思われます。以下物価とドルの強さの関係
ドル高になれば通常は物価は下がるのですが ドルが上がっても物価は上がっています
2017年2月20日月曜日
罪と悔い改め
神の愛とはよく言われますが その前に バプテスマ 罪の悔い改めと キリストともに一度死ぬ 事をしなければ 愛もへったくれも 無くなるわけです 勿論いつでも 誰でも 受け入れてもらえる という面では 愛です。 神は罪の性質はありません だから 罪を仕方なく犯したとか言う 感性は全くありません ただ 許す という 慈悲がるのです ですから 悔い改めなければ なりません 悔い改めには2種類あります
裁きを恐れる悔い改めは偽物で またもや 何回も罪を繰り返します
本物の悔い改めは 本物のキリストの愛に触れた後悔 しかありません これは唯一無二の者であり キリストを通して しか ありえないのです。
もしあなたが 人をケガさせ ブタバコ に ぶち込まれた として 誰かが 補償金を払ってくれ 自分の代わりに ブタバコに入ってくれ たとして 釈放されてから 俺は罪をおかしても 釈放されるんだ キリストが 払ってくれたからだ と言って ブルーとみたいに 人を酒場で 殴り倒して続けても 良いというような アホ はいません
そんな奴が 許されるはずがありません そんなことを言っている ✟な人 が多いわけで
間違いなく救いから漏れます。いや 真顔で それでも ネ申を信じていたら救われるという 聖職者 まで いるから 驚きです。
本当は自分の身代わりの 愛を感じて 悔い 二度とやらない と思うのが キリストの品性に預かるものの 姿でございます。
へブル6:7 たとえば、土地が、その上にたびたび降る雨を吸い込んで、耕す人々に役立つ作物を育てるなら、神の祝福にあずかる。
2017年2月19日日曜日
フリーメーソンだのとかの大元はカトリックイエズス会
秘密結社だの陰謀だのフリーメーソンだのとかの大元はカトリックイエズス会です
皆さんビルダーバーグとかいろいろ言われますが大元はここの様です
古代からキッチリ見ているとよくわかります又シンボルマークなどもつながりがあります
2017年2月16日木曜日
心霊現象の正体
UFOから まで
UFO占いスーザンミラー 神智学協会 アリスベイリーニューエイジ運動 心霊治療
透視クロワゼット 降霊 ユタ イタコ ゴミソ チャネリング 幸福の科学 霊魂不滅説
要するに困った時には何か未知のものに頼ろうとしたり 普段から信仰のないものに突然頼ろうとするこれは大変危険な罠であると思う。全財産を投げ打つ人もいるぐらいです
死者との交信 臨死体験
霊能者は日本でも1万人ぐらいいると言いますが
占いやイタコがどいうものかと言うと 祭ってある霊と交信し 過去の事を調べます
霊は体がないので過去には行けるもしくは過去の事が解る ので 最初は過去の事を言い当て信じさせます 次に 未来の事を言うのですがこれの意図はこの様な霊が自分が神のようになり人の将来を操るため 暗示をかけているのです。
よく 突然心霊現象を見たとか 不思議な体験をしたとか の後に知り合いが占い師だからとか坊さんに聞きに行ったとか必ずと言っていいほどそうされています。
が 実を言うと その坊さん 占い師が 自分の所に来させるため に 霊を派遣している事が多いのです。 詐欺師って巧妙ですよね これぐらいレベルの高いダマシなので
絶対気を付けてください これぐらいでは 未だ序の口かもしれません 怖がらせたりすればいくらでも金を巻き上げられます
クリスチャンでさえ信じている霊魂不滅
死んだ人の霊魂は無い
従って死んだ人とは交信できない
更新している相手は悪霊悪天使である
クリスチャンでさえ 葬式に天国で見守ってくださいとか言いますが死んでいる状態では
眠っているのと同じで意識もありませんから そんなこと お願いしても意味がありません 天国もすべての裁きが終わるまで ありません罪を犯した霊魂は死滅します。
申命記18:10 あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また占いをする者、卜者、易者、魔法使、
18:11 呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。
18:12 主はすべてこれらの事をする者を憎まれるからである。そしてこれらの憎むべき事のゆえにあなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるのである。
関連 元ユタでクリスチャンになった方のお話
666 獣の数字 とは皆様ご存じのあの おじさんです
先に書いておきます獣の数字とは皆様ご存じのあのオジサン ローマ教皇の事です キリスト教が日曜礼拝をしているのは 太陽礼拝が起源となっており 本来の キリストの教え 聖書 とは まったく関係ありません 他にも ローマカトリックはキリストの教えではなく異教の忌むべき儀式を行っています。これらは太陽礼拝が主でバビロンの王ニムロデから始まったものと思われます。歴史を通し太陽崇拝は何処の国でも盛んです わが国でも 天照大御神は太陽神とキリストの話を混ぜて作られています。それについてはここではテーマが違うので述べませんが 宗教改革の際 ルター や カルバン たちは知っていたようです。正体をバラされた ローマカトリックはこのゲロを回収すべくイエズス会を作り
この 獣の正体を歴史的解釈 未来的解釈に置き換え 皆様が期待しておられるように世の末に独裁者が出るという説が出回っているというのはそのためです。恐怖の支配と言われていますが普通の人たちにとっては あまり何も感じないかもしれませんがアメリカで 日曜休業令が出れば 彼らの野望は実現マジか?ということになります。
皆さんがご存じの慈悲深いキリスト教が何故と思われるかも知れませんが 善意を装う悪と本当に善意のある人を見分けるのはむつかしいことです
今のキリスト教の教理はニケア会議でローマが統治のためにつり替えたものですですからキリストの教えとは関係ない教えが多いのでいわば古い新興宗教なのです。
でもそれは聖書を本当によく読み自分で見分けるのはむつかしいでしょう。それほど巧妙で完成したダマシであるということです。
その他参考資料666
https://youtu.be/-v3RL5i6sWQ
以下SOSTVブログから引用
反キリストに対する宗教改革者たちの立場
1) マルチン・ルター
「パウロは第二テサロニケ2章3、4節に『まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する』と記しているが、その存在がここにいる。『不法の者、すなわち、滅びの子』とあるが、・・・彼は神の戒めを廃して、神の戒めの上に、自分が作った戒めを高めた。我らはここで教皇権が本当に反キリストの座に就いている事実を確信するのである」(LeRoy Froom,The Prophetic Faith of Our Fathers,Volume2,page28)
2) ジョン・カルヴァン
「私は、教皇がキリストの代理者になることを否認する。…彼は、偽キリストである。・・・私は彼が教会の頭になることを否定する」(John Calvin Tractc,Volume1,page219,220)
3) ジョン・ノックス
「何代にもわたって教会の頭として君臨してきた教皇が、まさしく、使徒パウロが言った反キリストであり滅びの子である」(The Zurich Letters,page199)
4) フリップ・メランヒトン
「ローマ教皇権が、巨大な組織と王国を持っている反キリストであることは、全然疑う余地のない明白な真理である。・・・第二テサロケ2章の2節で、パウロは「不法の者が、神と呼ばれたり、拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座って支配することになる」と、はっきり言ったのである。”(LeRoy Froom, The Prophetic Faith of Our Fathers, Volume 2 page 296-299)
1) マルチン・ルター
「パウロは第二テサロニケ2章3、4節に『まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する』と記しているが、その存在がここにいる。『不法の者、すなわち、滅びの子』とあるが、・・・彼は神の戒めを廃して、神の戒めの上に、自分が作った戒めを高めた。我らはここで教皇権が本当に反キリストの座に就いている事実を確信するのである」(LeRoy Froom,The Prophetic Faith of Our Fathers,Volume2,page28)
2) ジョン・カルヴァン
「私は、教皇がキリストの代理者になることを否認する。…彼は、偽キリストである。・・・私は彼が教会の頭になることを否定する」(John Calvin Tractc,Volume1,page219,220)
3) ジョン・ノックス
「何代にもわたって教会の頭として君臨してきた教皇が、まさしく、使徒パウロが言った反キリストであり滅びの子である」(The Zurich Letters,page199)
4) フリップ・メランヒトン
「ローマ教皇権が、巨大な組織と王国を持っている反キリストであることは、全然疑う余地のない明白な真理である。・・・第二テサロケ2章の2節で、パウロは「不法の者が、神と呼ばれたり、拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座って支配することになる」と、はっきり言ったのである。”(LeRoy Froom, The Prophetic Faith of Our Fathers, Volume 2 page 296-299)
5) アイザック・ニュートン
「教皇権は、残りの十の角と異なる種類の王国であった。・・・ローマ教会は預言に現れた、先の者と異なる王である」(Sir Isaac Newton, Observations of the Prophecies, page 75)
6) ジョン・ウェスレー
「ローマ教皇権が、すなわち、不法の者であることを強調する」(John Wesley, Antichrist and His Ten Kingdoms, page 110)
7) サムエル・リー(17世紀の有名な聖職者)
「ローマ教皇権が、反キリストである事実は、英国のすべての主要教団の間で共通に受け入れられている教えである」(Samuel Lee, The Cutting Off of Antichrist, page1)
長老教会で採択されている、「ウエストミンスター信仰告白」(Westminster Confession of Faith)から引用した次の内容は実に重要な資料です。
「イエス・キリスト以外に異なる人が、教会の頭になることはできない。特にローマ教皇はどのような面からも、教会の頭にはなれない。教皇はまさに、不法の者であり、滅びの子として、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするもの、すなわち、神とイエス・キリストの上に自分を高めた反キリストなのである。”(The Westminster Confession of Faith, Section6, Chapter 24)
スイスにおいても、教皇権が、聖書に預言されている反キリストであると言及しました。『スマルカルド(Smalcald)条項』はルター派教会の声明書で、そこでは、教皇は自分を高めキリストに反抗する、まさしく反キリストであると言及しています。
1680年の『ニューイングランド信仰告白』では、教会の頭はイエス・キリストであって、滅亡の子であり、偽キリストであるローマ教皇ではないと言いました。
「教皇権を反キリストと同一視することは、宗教改革の中心をなす思想であった。この見解は、ルターや、他の宗教改革者たちが教皇権と対抗することが出来た大きな原動力となった」(Encyclopedia Britannica, 1962 edition, Volume 2, page 61)
「教皇権は、残りの十の角と異なる種類の王国であった。・・・ローマ教会は預言に現れた、先の者と異なる王である」(Sir Isaac Newton, Observations of the Prophecies, page 75)
6) ジョン・ウェスレー
「ローマ教皇権が、すなわち、不法の者であることを強調する」(John Wesley, Antichrist and His Ten Kingdoms, page 110)
7) サムエル・リー(17世紀の有名な聖職者)
「ローマ教皇権が、反キリストである事実は、英国のすべての主要教団の間で共通に受け入れられている教えである」(Samuel Lee, The Cutting Off of Antichrist, page1)
長老教会で採択されている、「ウエストミンスター信仰告白」(Westminster Confession of Faith)から引用した次の内容は実に重要な資料です。
「イエス・キリスト以外に異なる人が、教会の頭になることはできない。特にローマ教皇はどのような面からも、教会の頭にはなれない。教皇はまさに、不法の者であり、滅びの子として、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするもの、すなわち、神とイエス・キリストの上に自分を高めた反キリストなのである。”(The Westminster Confession of Faith, Section6, Chapter 24)
スイスにおいても、教皇権が、聖書に預言されている反キリストであると言及しました。『スマルカルド(Smalcald)条項』はルター派教会の声明書で、そこでは、教皇は自分を高めキリストに反抗する、まさしく反キリストであると言及しています。
1680年の『ニューイングランド信仰告白』では、教会の頭はイエス・キリストであって、滅亡の子であり、偽キリストであるローマ教皇ではないと言いました。
「教皇権を反キリストと同一視することは、宗教改革の中心をなす思想であった。この見解は、ルターや、他の宗教改革者たちが教皇権と対抗することが出来た大きな原動力となった」(Encyclopedia Britannica, 1962 edition, Volume 2, page 61)
2017年2月15日水曜日
成功の秘訣はどこに
成功の秘訣とは個人の能力や組織の力によるのではなく 何も持たない人のように主の導きに頼ることです。クリスチャンの証を聞くと何をやってもダメで追い詰められたときに道が開けたようなお話はよく聞くのですが 本来そのような 人の 能力は 無であることを 教えるために そうされるのではないかと思います その時はつらいですが 忍耐の時を経れば その後は素晴らしい 導きと恵が待っているのではないかと思います
読者の皆様も絶望的で どうにもならない時ほど 御手を動かされる という 固い信仰を持って歩みましょう。
特に新しされる時ほど行き詰まる事が多いです。 筆者も経験したことがあります
し今もそのような状況ですがそこに 信仰と言うものが必要です 普段から何だかんだと言っていても そのような時 本当にそれまでに 養われてきた信仰がないと押しつぶされてしまいます。しかしそのようであっても 水の上を歩いて 沈みそうになったペテロもヨブも最後には信仰を得たのでは無いでしょうか?皆さんもそのような 導きの中で歩まれることを期待します。
2017年2月14日火曜日
迫りくる危機
トランプ政権になってから イスラム教に対しての圧力が高まりつつある
これはテロ対策として妥当であるかのようだが イスラム教徒を怒らせることは間違いない それに乗じ 熱心な宗教に対して原理主義と言うレッテルを張り宗教に対し圧力をかけてくることとなることは簡単に予想できる先にイスラムとアメリカ(ローマカトリックとの合体) 再臨が近いと思われるが 危機感を持っていないのがキリスト教会の現状だ北の王ローマカトリックとアメリカの合体が残された女の末(選ばれた教会)に戦いを挑む 時の来るのを悟るものは幸いだ 獣の印日曜休業令 が間もなく出れば 終わりが近い
黙示録
12:17 龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。
12:18 そして、海の砂の上に立った。
イエズス会は残忍な方法で最後の世界統一の野望を働こうとしている
トランプはドル高をけん制発言しドル安を誘導しているこれが成功するなら金利が上がってもドル安と言うすさまじいインフレを招き経済が混乱するだろう
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多くを知る必要はないのかもしれない
聖書の知識 知っていることは必要ですが 多くの事を知っていても キリストの性格 と自分の性格が乖離していれば 何の意味もありません 知識だけでは 全うすることはできないでしょう。 知識を得たいと言うのは自分の知的願望であって キリストを知りたいと言う願望とは性質の違うものに...
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最近lgbtなどの話題が良く議論されていますが 何故このような議論が行われ意見が二分され 尚 それぞれの意見を持つ方が 確信が無いのか以前から解っていましたのでその理由を書きたいと思います マタイ22:37 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なる...
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申命記22:9 ぶどう畑に二種の種を混ぜてまいてはならない。そうすればあなたがまいた種から産する物も、ぶどう畑から出る物も、みな忌むべき物となるであろう。 22:10 牛と、ろばとを組み合わせて耕してはならない。 22:11 羊毛と亜麻糸を混ぜて織った着物を着てはならない ...
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選民なら優生学にたたず なおさら 謙虚でなければならないと思う 教会に行くと必ずこういう人たちがいます 牧師でもなんでも関係ありません 自分たちは神の言葉を代弁していると思っていても 自分の経験や信仰から話さなければまったく説得力がありません がそのことを知らず に自...