最初は主からの物でも 人の手が加えられだんだんと 装飾がなされ
遂にはキリストの品性から離れようとしてしまいます。
自分では御心だと理由をつけて納得しようとしてしまう傾向になります。
その時はほとんど 人の考えで動いているのであり 御手から離れてしまっているので
自分の力が不足すれば倒れることになります。
ほとんどの人はこの様な経験をします それは 人生の変わり目とか言われます
がこの時ほど無力な時はありません ここで 謙虚に 主の御手 に ゆだねるか どう
かで 人の人生が大きく変わるようになります
そこではごまかしがなく 狭き門となりますが それに 入ったものは 祝福を受け
命を受け継ぎます
神の門に入れないものは やはり 人の手を 借り 人の手に落ち イスラエルが砂漠をさまよったように 迷います または 永遠に 失います
人は何も持っていない時が一番幸せなのかもしれないのです
又そういう時ほど主の訓練を受ける絶好のチャンスです。
主が与えられるという 期待がある時 一番幸福ではないか と思います。
山上の垂訓がパラドックスなのもこういった意味なのではないかと思います。
持つものが邪魔になってしまう時があります ラクダが針の穴を通るほどむつかしいとう意味が解ります
信仰の人となるにはそのような道を歩まなければなりません。
例えそこで倒れたとて 本望ではないでしょうか。
5:3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
5:4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
5:5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
5:6 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
5:7 あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
5:8 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
5:10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
5:12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
砂の上ではなく 岩の上に 家を建ててください
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