みんなが 言っている この世の最後に出てくる666の獣とは
実を言うと 宗教改革 の時からわかっています
これを隠したいがためにイエズス会リベラなどがダニエル書70週の予言をひねり未来的解釈を無理やり作りこの世の終わりに独裁者が出ると いう説を広めたのが事実です
その集大成がレフトビハインドでsり 艱難前携挙説です これを指示しているのがフラー神学校 ピーターワグナー ジャックヘイフォード チョーヨンキ などの グループですから ひも付きであることは最初からわかっているのです。
そしてこの獣を拝ませるのはアメリカです
以下宗教改革のリーダーたちの発言
反キリストに対する宗教改革者たちの立場
1) マルチン・ルター
「パウロは第二テサロニケ2章3、4節に『まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する』と記しているが、その存在がここにいる。『不法の者、すなわち、滅びの子』とあるが、・・・彼は神の戒めを廃して、神の戒めの上に、自分が作った戒めを高めた。我らはここで教皇権が本当に反キリストの座に就いている事実を確信するのである」(LeRoy Froom,The Prophetic Faith of Our Fathers,Volume2,page28)
2) ジョン・カルヴァン
「私は、教皇がキリストの代理者になることを否認する。…彼は、偽キリストである。・・・私は彼が教会の頭になることを否定する」(John Calvin Tractc,Volume1,page219,220)
3) ジョン・ノックス
「何代にもわたって教会の頭として君臨してきた教皇が、まさしく、使徒パウロが言った反キリストであり滅びの子である」(The Zurich Letters,page199)
4) フリップ・メランヒトン
「ローマ教皇権が、巨大な組織と王国を持っている反キリストであることは、全然疑う余地のない明白な真理である。・・・第二テサロケ2章の2節で、パウロは「不法の者が、神と呼ばれたり、拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座って支配することになる」と、はっきり言ったのである。”(LeRoy Froom, The Prophetic Faith of Our Fathers, Volume 2 page 296-299)
5) アイザック・ニュートン
「教皇権は、残りの十の角と異なる種類の王国であった。・・・ローマ教会は預言に現れた、先の者と異なる王である」(Sir Isaac Newton, Observations of the Prophecies, page 75)
6) ジョン・ウェスレー
「ローマ教皇権が、すなわち、不法の者であることを強調する」(John Wesley, Antichrist and His Ten Kingdoms, page 110)
7) サムエル・リー(17世紀の有名な聖職者)
「ローマ教皇権が、反キリストである事実は、英国のすべての主要教団の間で共通に受け入れられている教えである」(Samuel Lee, The Cutting Off of Antichrist, page1)
長老教会で採択されている、「ウエストミンスター信仰告白」(Westminster Confession of Faith)から引用した次の内容は実に重要な資料です。
「イエス・キリスト以外に異なる人が、教会の頭になることはできない。特にローマ教皇はどのような面からも、教会の頭にはなれない。教皇はまさに、不法の者であり、滅びの子として、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするもの、すなわち、神とイエス・キリストの上に自分を高めた反キリストなのである。”(The Westminster Confession of Faith, Section6, Chapter 24)
スイスにおいても、教皇権が、聖書に預言されている反キリストであると言及しました。『スマルカルド(Smalcald)条項』はルター派教会の声明書で、そこでは、教皇は自分を高めキリストに反抗する、まさしく反キリストであると言及しています。
1680年の『ニューイングランド信仰告白』では、教会の頭はイエス・キリストであって、滅亡の子であり、偽キリストであるローマ教皇ではないと言いました。
「教皇権を反キリストと同一視することは、宗教改革の中心をなす思想であった。この見解は、ルターや、他の宗教改革者たちが教皇権と対抗することが出来た大きな原動力となった」
- ローマ法王のラテン語のタイトル Vicarivs Filii Dei(神の子の代理人)からローマ数字で読める文字を抜き出して合計すると666になります
聖者らは彼の手に渡され 一時期、二時期、半時期がたつ」(25節下句)。
引用http://d.hatena.ne.jp/Dugon+Okinawa/20150610/1433874674
オストロゴスが538年に滅ぼされましたが、その年から1260年を数えて、1798年に至る期間となります。
一時期=ひと時=1年=360日
二時期=ふた時=2年=720日
半時期=半時=半年=180日
合計:三時期半=さん時半=3年半=1260日
預言における1日は1年と計算します。民数記14章34節(237頁)、エゼキエル4章6節(旧約1300頁)。
結論は預言の年数は、12600日は1260年になります。
そして、538年から1260年は1798年に至ります。その期間、聖徒は小さな角の迫害に会います。
ブログランキングにご協力ください
登録:
コメントの投稿 (Atom)
多くを知る必要はないのかもしれない
聖書の知識 知っていることは必要ですが 多くの事を知っていても キリストの性格 と自分の性格が乖離していれば 何の意味もありません 知識だけでは 全うすることはできないでしょう。 知識を得たいと言うのは自分の知的願望であって キリストを知りたいと言う願望とは性質の違うものに...
-
最近lgbtなどの話題が良く議論されていますが 何故このような議論が行われ意見が二分され 尚 それぞれの意見を持つ方が 確信が無いのか以前から解っていましたのでその理由を書きたいと思います マタイ22:37 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なる...
-
申命記22:9 ぶどう畑に二種の種を混ぜてまいてはならない。そうすればあなたがまいた種から産する物も、ぶどう畑から出る物も、みな忌むべき物となるであろう。 22:10 牛と、ろばとを組み合わせて耕してはならない。 22:11 羊毛と亜麻糸を混ぜて織った着物を着てはならない ...
-
選民なら優生学にたたず なおさら 謙虚でなければならないと思う 教会に行くと必ずこういう人たちがいます 牧師でもなんでも関係ありません 自分たちは神の言葉を代弁していると思っていても 自分の経験や信仰から話さなければまったく説得力がありません がそのことを知らず に自...
0 件のコメント:
コメントを投稿