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2017年2月28日火曜日

モーセの律法トラー ユダヤ律法タルムッド は 違う


モーセの律法トラーはキリストご自身がモーセに教えられたものです
ユダヤタルムッドは モーセの律法に付け加えたものや偏向したものです 一般に律法的という言葉はユダヤ律法に対しての批判なのですが これが 勘違いをして モーセの律法トラーを批判している人も多いです ここを勘違いすると ガラテヤコロサイ2章の解釈がまったく違ってきます

マタイ15:3 イエスは答えて言われた、「なぜ、あなたがたも自分たちの言伝えによって、神のいましめを破っているのか。
15:4 神は言われた、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず死に定められる』と。
15:5 それだのに、あなたがたは『だれでも父または母にむかって、あなたにさしあげるはずのこのものは供え物です、と言えば、
15:6 父または母を敬わなくてもよろしい』と言っている。こうしてあなたがたは自分たちの言伝えによって、神の言を無にしている。
15:7 偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている、
15:8 『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
15:9 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』」。


ヨハネ こののち、ユダヤ人の祭があったので、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。
5:3 その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大ぜいからだを横たえていた。〔彼らは水の動くのを待っていたのである。
5:4 それは、時々、主の御使がこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。〕
5:5 さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。
5:7 この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。
5:8 イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。
5:9 すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。その日は安息日であった。

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