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2017年2月27日月曜日

金持ちとらくだと針

金持ちとらくだと針

この話は有名でクリスチャンでなくとも知っています。

マタイ19:20 この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。
19:21 イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
19:22 この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
19:23 それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
19:24 また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。


お金を もっていては いけないのでしょうか?
カルト教団のように有り金をよこせ と言っているのでしょうか?

お金があり神が無くても生活でき何の煩いも無い人は 神は不必要です

人の力ではなく神の御力により 人は天国に入れるのです

富の力などとは関係がありません が 富は祝福と教えられています


キリストの実物教訓より
28 恵みの報い
彼の心は、救い主に引きつけられた。しかし、救い主の自己犠牲の原
則を、受けいれるまでにはなっていなかった。彼は、イエスを選ぶより
は、富の方を選んだ。彼は、永遠の命を欲したけれども、ただ1つの生
きる道である無我の愛を、魂の中に受けいれようとせずに、悲しみつつ、
キリストから去っていった。
青年が離れて行った時、イエスは弟子たちに、「富んでいる者が天国に
はいるのは、むずかしいものである」と言われた。このことばは弟子たちを驚
かした。富んでいる者は、天の特別の恵みを受けた者とみなすように、
彼らは教えられていた。彼ら自身も、メシヤの王国では、世的の権力と富を
受けることを期待していた。もしも、富んでいる者が神の国に入れない
とするならば、いったい他の人々には、どんな望みがあり得るであろうか。
「イエスは更に言われた、『子たちよ、神の国にはいるのはなんとむ
ずかしいことであろう。富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだ
が針の穴を通る方が、もっとやさしい』。すると彼らはますます驚い」た。
彼らは、この厳粛な警告の中に、自分たちも含まれていることを自覚し
た。救い主のこの言葉によって、彼ら自身の心の中に、権力と富に対す
るひそかな願いがあったことが明らかにされた。彼らは心配になって、
「それでは、だれが救われることができるのだろう」と叫んだ。
「イエスは彼らを見つめて言われた、『人にはできないが、神にはで
きる。神はなんでもできるからである』」。
富んでいる者は、富んでいるからといって、天国に入られるのではな
い。富は、光のうちにある聖徒たちの特権に、あずかる資格を与えない。
何の功績もなくして与えられるキリストの恵みによってのみ、人は、神
の都に入ることができるのである。
「あなたがたは、もはや自分自身のも
故に天国に入ることはむつかしいのです

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