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2017年2月20日月曜日
罪と悔い改め
神の愛とはよく言われますが その前に バプテスマ 罪の悔い改めと キリストともに一度死ぬ 事をしなければ 愛もへったくれも 無くなるわけです 勿論いつでも 誰でも 受け入れてもらえる という面では 愛です。 神は罪の性質はありません だから 罪を仕方なく犯したとか言う 感性は全くありません ただ 許す という 慈悲がるのです ですから 悔い改めなければ なりません 悔い改めには2種類あります
裁きを恐れる悔い改めは偽物で またもや 何回も罪を繰り返します
本物の悔い改めは 本物のキリストの愛に触れた後悔 しかありません これは唯一無二の者であり キリストを通して しか ありえないのです。
もしあなたが 人をケガさせ ブタバコ に ぶち込まれた として 誰かが 補償金を払ってくれ 自分の代わりに ブタバコに入ってくれ たとして 釈放されてから 俺は罪をおかしても 釈放されるんだ キリストが 払ってくれたからだ と言って ブルーとみたいに 人を酒場で 殴り倒して続けても 良いというような アホ はいません
そんな奴が 許されるはずがありません そんなことを言っている ✟な人 が多いわけで
間違いなく救いから漏れます。いや 真顔で それでも ネ申を信じていたら救われるという 聖職者 まで いるから 驚きです。
本当は自分の身代わりの 愛を感じて 悔い 二度とやらない と思うのが キリストの品性に預かるものの 姿でございます。
へブル6:7 たとえば、土地が、その上にたびたび降る雨を吸い込んで、耕す人々に役立つ作物を育てるなら、神の祝福にあずかる。
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